2011/04/10
2週間ご無沙汰 id=419 3月28日(月)夕方、喉の痛みで風邪気味と感じてから2週間、SNSの沖塩研究室への書き込みをさぼった。症状は大したことないが、用心のため外部の会議や委員会は欠席した。 そろそろ書き込みを復活させる予定。この間このSNSは、網野君のお陰で何とか途切れないで済んだ。網野君有難う。 2011/04/10 21:11:45
庭の山吹満開 id=420 先週から、自宅周りで染井吉野が満開。庭でも山吹が満開。写真の山吹の右側の山椒も新芽が瑞々しい。 2011/04/10 21:13:50

2011/04/11
坂本会長からJFMAの今後について話伺う id=423 4月11日(月)15時、JFMAに坂本会長訪問、JFMAの今後について40分ほど話を伺う。非常勤職員や理事にも定年制を敷くとの話など、会長の考え全てに私は賛意を表明。 2011/04/11 23:57:28
建築行政情報センター評議員会議事録署名 id=424 4月11日(月)JFMAの帰途、16時20分頃神楽坂の建築行政情報センターに川島氏を訪ね、3月25日の評議員会議事録に議長として署名。 2011/04/11 23:59:34
2011/04/12
東日本大震災の大きい余震で樹林館エレベータ止まる id=425 帰宅して間もない4月11日(月)17時20分頃、大きい地震。東日本大震災の余震で、震源は福島県東部。いわき市など震度6弱、樹林館9階の揺れは、大震災以後最大。エレベータは止まるも、今回は18時半頃復旧。 2011/04/12 00:02:14
2011/04/13
東日本大震災被災者と戦後の私たち一家が重なる id=427 東日本大震災の被災者たちを想うと、肉親・住まい・財産・収入の道などを無くし、今後どうなるのか、「お気の毒」というのでは済まない、何とも言えぬやるせない気持ちになるのは、私だけでなく多くの日本人に共通だろう。 しかし、戦後の私たち一家は同じような状況だったことを、ふと思い出した。戦後すぐ父に死なれ、少しあった蓄えは戦後の物凄いインフレであっと言う間になくなり、財産も収入の道もなく、家は焼け残ったものの借家だったため家主から追い立てを食い、明日どう生きられるか先の全く見えない日々だった。高校生の私、良妻賢母型の母、小学生の妹と3人、「兎も角、今できることに全力を尽くそう」との気持ちで生き抜いてきたのだった。親戚や多くの知人に色々と助けて頂いた。これは私たち一家だけでなく、当時の多くの日本人に共通していたように思う。私自身の昔を思い出すことにより、現在の被災者の方々に「大丈夫、必ず立ち直れる」「戦後の多くの日本人は、同じような状況だった」と言って上げたい気持ちになった。 そして、私たちが助けて頂いたように、私たちが被災者の方々にお役に立つことは何かを考えたい。 また、このSNSでできることはないだろうか? 2011/04/13 01:18:58
2011/04/15
樹林館地階ドライエリアに落ちた野良猫を捕まえる id=431 4月14日(木)20時前、お隣嘉糠さんの家の前を通ると、娘さんから「樹林館のドライエリアに猫が落ちているらしい、鳴き声がする」と。ドライエリアへ行って見ると、空調室外機の棚の間に黒猫が蹲っていた。嘉糠さんやそのお隣の飼猫ではなく、野良猫とのこと。嘉糠嬢は、猫使い的で猫にやさしい声をかけ、2時間かけて段ボール箱に猫を追い込んだ。その後近くの公園で放した由。 2011/04/15 01:11:51
2011/04/18
内田祥哉先生日本学士院会員ご就任を祝う会 id=435 4月17日(日)16時から学士会館で開催の、内田祥哉先生日本学士院会員ご就任を祝う会に出席。東日本大震災を受け、会の名前は「祝う会」から「先生とお話する会」と変わった。 最初に内田先生のご挨拶があり、今回の震災で大きい被害を受けた陸前高田は漁業の町だけでなく、気仙大工といわれる社寺建築など日本中で活躍している伝統工法の優れた大工さんを輩出している町とのこと。気仙大工に活躍の場を与えて欲しい、との話。 5年前まで東北大学教授だった伊藤邦明氏から、東北大学建築学科棟の被害状況の話を伺う。倒壊はしなかったが、低層から高層に切り替わるところの柱が酷いダメージ。彼の設計した隣の14階建ては無傷で、そこから撮った写真を送って下さる由。 横田昌幸NTTファシリティーズ名古屋支店長からは、大震災での通信局舎被害状況を聞く。平屋のALCや鉄骨造13棟が壊滅した由。船や車が外壁を突き破ったとのこと。斎藤光巧君設計の石巻電話局は、電源室を2階にしていたお陰で、津波は3階の高さまで来たが、2階には水はそれほど入らず、復旧は早かった由。 高橋靗一、宇野英隆、巽和夫、武者英二、小原誠、原広司、尾島俊雄、山下和正、八木幸ニ、本多昭一、塚越功、友沢史紀、長澤泰、陣内秀信、長島雅則、布野修司の諸氏ら50人以上の方々と親しくお話できた。長島氏は、つい先日MITでの会合に出席、ミッチェル先生の墓詣りをされた写真を見る。 2011/04/18 01:50:28
2011/04/20
JFMA賞専門委員会で被災地のトイレが話題に id=439 4月18日(月)18時からJFMAで開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。 東日本大震災で、BCPなどFMの重要性が再認識されるはず、との話から、災害時のトイレ対策が話題となった。下水が使えなくなる問題、仮説トイレは汚物がすぐ山もりとなる問題、非常時のための汚水浄化槽を準備している自治体の話など。 2011/04/20 02:13:58
2011/04/20
伊藤邦明氏より雄勝硯伝統産業会館の写真 id=440 内田先生の会で久し振りに会った伊藤邦明東北大学名誉教授より4月19日(火)メールで送られて来た、津波後の雄勝硯伝統産業会館の写真を見る。コンペで入賞して彼が設計したこの建築は、津波対策として収蔵庫は地上5m、設備機器は地上10mの屋上に置いたため、10mを超す津波だったが周辺の惨状とは違い、写真からは無事のように見える。 10年以上前、宮城大学にいた時2階建てだったこの会館を見学、来館者の少ないこの会館を7階建に増築する話を聞き、当時は少し疑問を感じたが、今回の津波では増築したことが幸いした模様。その設計者が伊藤氏とは知らなかった。 2011/04/20 02:20:11
2011/04/22
理科大近代科学資料館企画展「火災の科学」打合せ id=444 4月21日(木)15時、理科大近代科学資料館で、辻本研究室の西田幸夫研究員と資料館大石和江コミュニケーターに、持参の火災鑑定関係の私の著作やスライドなどを見せる。大石さんから「全部を展示したい」と言われ、預ける。 企画展「火災の科学(江戸の火災から高層ビル火災まで)」は、5月18日から8月8日まで開催される。 展示について色々と意見を述べたが、オープンまで日がなく、展示パネルも殆ど作成済みで、もう少し早く相談に乗っていれば良かった。 2011/04/22 01:11:02
2011/04/23
井戸の不調は地震で地下水位低下が原因か id=446 4月22日(金)9時過ぎ、協和総合設備生江氏来館。先月から空気が入って水の出が悪くなった井戸ポンプを診て貰う。井戸の水面を覗きながらポンプのスイッチを入れると水面の泡立つのが見え、地震の影響で地下水の水位が下がったのが原因らしい。来週パイプを少し長くして貰うこととする。 2011/04/23 00:59:32
2011/04/23
JFMAのFM普及戦略会議最終回 id=447 4月22日(金)13時半からJFMAで開催の、FM普及戦略会議に顧問として出席。今回は最終回。前回欠席したこともあり、私から7点程意見を述べた。 ①今までJFMAとの関わりが少なかったFM関連研究者たちにJFMAとの協力を求める。長澤泰副学長、遠藤和義教授(元東京都山本、東電児玉両氏のFM博士論文指導)、吉田倬郎教授らを擁する工学院大学の先生方、板谷氏の博士論文指導の早稲田大学の小松幸夫教授、国土交通省の審議会答申にFMの必要性を入れさせた東大の野城教授、経営系では古川靖洋関西学院大学教授など。 ②他学会などとの協力。先日尾島俊雄建築保全センター会長に会って坂本さんがJFMAの会長と話ししたら、愛知万博でご一緒したので協力したいとの話。上述の首都大学東京の山本教授は、現在建築学会施設マネジメント小委員会主査。上述の長澤副学長は、建築マネジメント学会を作った筈。 ③FM教育に、通信制大学院を活用できないか。2003年下関の東亜大学が通信制大学院を新設、デザイン専攻の建築・環境の教員は内井昭蔵氏で発足したが、直後に内井氏急死、大学が後任探しで建築家協会と相談したら、「今更新築のデザインよりFMの先生が良い」と私が後任となった話。美大の通信制大学院で、美術関係の学芸員希望などの学生が大勢いる話を紹介。 ④大震災をFM普及のバネに。東北新幹線白河の手前で大地震に会い、9時間車内に閉じ込められた際のJRの対応に感動した人の話を紹介、災害時の顧客への対応は組織の評価に大きく関わること、米国WTCの隣のビルが911で被害を受けた際に事前のBCP訓練が見事だったため事件後48時間で近くのホテルを借りて事業再開できた話(ハイヒールでは逃げ難いので女性は皆走り易い靴を手元に持ち、非常時を考えて近くのホテルを借りられるようにしていた)、21日朝日新聞朝刊のオピニオンでの東京海上日動の指田氏の話などを紹介。 ⑤石巻市雄勝の硯伝統産業会館について、来館者が少ないのに中層棟増築は可笑しいと考えていたが、増築のお陰で大津波を乗り切った話。 ⑥JFMA事務局は、多くの企業からの出向者で成り立っているが、出向して良かったと出向者も企業も感じる方式確立を。 ⑦森民夫長岡市長は建設省でJFMAに対応してくれた方。こういう方々にもっとJFMAへの協力依頼を。 2011/04/23 02:33:50
2011/04/28
建築家橋本文隆氏26日死去の報 id=454 4月27日(水)23時半過ぎ、FAXが入る。計画・環境建築会長の橋本文隆氏が4月26日死去されたとの訃報だった。71才。 理科大1部建築学科で設計製図の非常勤講師を務められたこともあった。 割に最近何かのパーティで久しぶりにお会いしたのに。 2011/04/28 08:49:37









































