投稿者「yuruken」のアーカイブ

2010年10月

2010/10/01

神楽坂関連の講演会とシンポジウム id=85

1.黒川鍾信(作家・元明治大学教授)「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」  神楽坂のシンボル、旅館「和可菜」。昭和29年に開業して「ホン書き旅館」として名を馳せ、作家では野坂昭如、結城昌治、色川武大、伊集院静、映画人では内田吐夢、深作欣二、山田洋次、奥田瑛二、脚本家では市川森一、倉本聰、内舘牧子、竹山洋、加藤正人等々がここで仕事。  和田敏子女将の甥、黒川鍾信が、その執筆現場の秘話や現在の状況などをいろいろな角度から語る。  黒川氏は平成14年、『神楽坂ホン書き旅館』(NHK出版、文庫版は新潮社)を世に問い、第51回日本エッセイストクラブ賞を受賞。 日時 10月1日(金)夜19時~21時 場所 神楽坂通り商店会事務所・東新神楽坂エミネンス6階/神楽坂3-2 参加費(支援金) 一般1000円、学生500円。 2.赤城神社竣工記念シンポジウム 場所: 赤城神社 日時: 10月23日(土)18時半~ 内容: 隈研吾☓稲本正「新しい神社の杜を考える-神と人と建築」 参加費: 一般1000円、学生500円2010/10/01 00:29:28

工学院大学学生二人樹林館の蔵調査に id=86

私が今住んでいる樹林館を建てる際、クス3本・大イチョウ・サンゴ樹2本・イイ桐など大木の保存と同時に、大正7年建設の鉄筋コンクリート造の蔵を残した。  関東大震災で被害なく、昭和20年の空襲で焼夷弾2発の直撃を受けたが酸素がなくなり燻っただけで無事だった蔵なので、中味はガラクタだけだが壊すに忍びなかった。残したものの、今後どうするかで困っている。  日本にRC造が導入されたのは明治末期なので、大正7年のものはごく初期のRCといって良い。わが国初期のRC研究の材料になるのではと、10数年前から何人ものコンクリート研究者に声を掛けたが、そのままになっていた。  8月、工学院大学の田村雅紀准教授にお話したら早速見に来られた。9月30日(木)14時過ぎから、田村研究室の学生二人が1時間ほど調査に。 2010/10/01 00:41:46

2010/10/02

黒川鐘信氏の「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」 id=89

10月1日(金)19時から神楽坂通り商店会事務所で開催の、黒川鐘信氏の語り「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」に参加。黒川氏は、2002年NHK出版より単行本として上梓、2007年には新潮文庫となった「神楽坂ホン書き旅館」の著者。舞台は、神楽坂のシンボルとなっている旅館「和可菜」。黒川氏は、この「和可菜」の女将を57年続け今月10日に88才になる和田敏子さんと、彼女の姉で女優の故木暮実千代の甥。  氏は、映画の助監督を目指して研鑽を積んでいたが、大学卒業頃には映画入場者が急減し路頭に迷い、ハリウッドに近い米国UCLAに留学し、2年前の定年まで明治大学情報コミュニケーション学部教授を務められた方。  日本と米国では、ホン書き、脚本・脚色のあり方が全く違う状況、わが国でホン書きに使われた他の場所の話、「和可菜」は作家や映画人の仕事場で男女問題がなかったから利用客の実名を出して書けたことなど、興味深い話だった。参加者は、粋なまちづくり倶楽部の寺田、山下、坂本の諸氏を含め10人程と少なく、もったいない感じ。  なおこの本の最初の方に、私が神楽坂について語ったことが3ページほど載っており、最初の出版時と文庫本になった際、何人もの方々から連絡を頂いたことを思い出す。  終ってから、鳥忠で22時半過ぎまで懇談。 2010/10/02 02:00:21

2010/10/03

私の巻頭言が載ったBELCA NEWS 9月号来る id=91

10月1日(金)、ロングライフビル推進協会の会報BELCA NEWS 2010年9月号が送られてきた。私の書いた巻頭言「保全・改修工事の設計者選定で求められる発注者の見識」が載っている。  なお本号は、ITやクラウドの活用による保全の推進」特集で、野城智也氏や板谷敏正氏らが執筆。                2010/10/03 01:57:22

2010/10/05

オフィスの本の図版コピーで理科大郷田研究室へ id=95

日本建築学会ワークプレイス小委員会の「コミュニケーションを刺激するワークプレイス(仮題)」の出版企画が、鹿島出版会の会議で承認され10月末が原稿締切り、と恒川主査から8月末メールが入っていた。出版社が決まらず、昨年末から動きが止まっていたもの。  私が担当の第5章「オルタナティブとしてのワークプレイス」をどうするかについて、名古屋大学の恒川主査に電話する。「文章の手入れはするから、図版は埋めて欲しい」と恒川氏。ノキア本社平面図の載っている建築設計資料集成「業務・商業」を持っていないので、そのコピーのため10月4日(月) 17時半頃理科大郷田研究室に。郷田さんはゼミ中だったが、一時休憩にして下さる。  コピーを受取った後、Google Boulderと日建設計山梨氏の話、建築学会空間研究小委員会で郷田さんが企画中のオフィスに関するシンポジウムの話など、30分ほど駄弁る。  ノキア・ハウスは、ビルの1階中央にある大きいアトリウムがカフェテリアになっており、ビル内を動いたり出入りする際そこを必ず通る。そこで様々な出会いが起きる他、そこにいる人たちの顔ぶれや表情から、様々な情報が得られる由。 2010/10/05

第5回JFMA賞の第4回専門委員会 id=96

10月4日(月)18時半から浜町のJFMA会議室で開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。  優秀FM賞11件、技術賞3件、功績賞6件、合計20件の応募物件の予備審査。21時までの予定だったが、終わったのは23時10分。 2010/10/05 23:41:32

2010/10/07

緒方研ニ氏を偲ぶ会 id=99

10月6日(水)12時から学士会館で行なわれた、「緒方研ニ様を偲ぶ会」に出席。この会は、電電公社関係限定で、私以外は電気や通信関係者。  緒方氏は、電電公社で電気通信研究所長、研究開発本部長、総務理事などを歴任され、NECの副社長も務められた方。昨年10月31日、92才で死去。  私が設計したNTT横須賀研究開発センター開所式(1972年)での研究開発本部長挨拶で、氏が建築の話に長い時間を割いて下さったことは忘れられない。このセンターの30周年記念式典の際、私など建築関係者を招待しなかったことについて事務局に苦情を述べられたとの話も聞いた。1997年から仙台通いをした6年間、東北新幹線の社内で東北大学に関わっておられた氏に何度もお会いした。  小口文一、北川泰弘、輿寛次郎、島田博一、高橋澄夫、田中浩太郎、丹野武宣、林智彦、前田光治、水口一、山内正弥、山根信義の諸氏と懇談。緒方夫人にもご挨拶。 2010/10/07 23:07:54

サムスン躍進の陰に吉川良三氏 id=100

10月6日(水)の緒方研二氏を偲ぶ会で、電気通信研究の大御所島田博一氏から次世代携帯電話でNTTドコモが韓国方式を採用することに決まったとの慨嘆の話を伺う。2004年訪韓前に調べたサムスン躍進の話をしたら、隣におられた小野瀬氏から94年~03年サムスン電子の常務を務めて同社の躍進に貢献した吉川良三氏の話を聞く。  ネットで、吉川氏は近年東京大学ものづくり経営研究センター特任命研究員として、刺激的な発言しておられるのを知った。http://www.globis.jp/1393 2010/10/07 23:14:50

2010/10/09

JFMA企画・運営委員会でJFMAの今後意見交換 id=102

10月7日(木)15時半から浜町のJFMAで開催の、企画運営委員会に出席。坂本会長も同席。出版されたばかりの「公共ファシリティマネジメント戦略」を貰う。  委員会の後半は、委員全員が「JFMAの今後に望むこと」の意見を述べた。  大星ビル管理前野氏のPFIなどで管理業務を金額だけでなく会社の能力評価機関が欲しい、日本メックス渕上氏のFMerの資格が実務者にそぐわない、リコージャパン溝口氏の自治体などのbefore afterの見学会セミナーツアをJFMAで、名古屋大学松岡氏のJFMA業績の海外への発信と大学FM教育と資格制度のリンクの必要性、など参考になる意見が多かった。 2010/10/09 00:33:14

2010/10/10

日本オフィス学会学会誌委員会 id=105

10月8日(金)15時から水天宮の日本オフィス学会で開催の、学会誌委員会にオブザーバーとして出席。  2011年3月末刊行予定のVol.3, N0.2の内容が主議題。林昌ニ氏への私のインタービューの可能性打診を頼まれた。 2010/10/10 01:32:46

2010/10/12

金夫妻に皇居東御苑など案内 id=108

10月11日(月・体育の日)14時に東京駅で待ち合わせ、今月から東京大学藤井研究室の研究生となった韓国人留学生金柄鎮夫妻を、小峯茂樹氏と東京案内。  大手門から皇居東御苑に入り、今井兼次設計の桃華楽堂(写真)、天守台など一回り。和田倉噴水公園、丸の内仲通りから明治生命館、三菱1号館美術館を経て第一生命館。  17時過ぎ、東京国際フォーラムの入口で別れる。 2010/10/12 00:03:00

NHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉敬」 id=110

10月12日(火)0時15分からのNHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉敬」再放送を観る。  1972年の沖縄返還で、「有事の核再持込み」を認める密約は「返還の代償」、と佐藤栄作首相を説得した首相密使若泉敬。沖縄県民を米軍の占領から解放するにはこれ以外の道はない最善の策と信じて密約を首相に認めさせたが、その密約が結果として基地の固定化に繋がったことに苦悩。1994年に著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』でその秘密交渉を暴露したが国内の反応が鈍く、沖縄県民への自責の念に押し潰されて自殺した若泉。その彼の悩みを、豊富な取材で描きだしていた。 2010/10/12 01:54:23

2010/10/16

昨夜の工学院大学での内田祥哉氏特別講義 id=115

本年9月工学院大学建築学科特認教授に就任された内田祥哉氏の就任記念講義「保存と活用」が、10月14日(木)夜工学院大学が行なわれた。  私は参加しなかったが、電電公社建築OBの小峯茂樹氏より出席したと15日朝メールあり。  BELCA賞の考え方から受賞物件の紹介もあり、その中で私とNTT横須賀研究開発センターに再三言及されたとのこと。 2010/10/16 00:35:30

竹中工務店吉田克之氏より建築防災原稿依頼 id=116

1週間前、大手町の地下鉄乗換え通路で久し振りに会った竹中工務店の吉田克之氏から、10月15日(金)10時過ぎ電話あり。建築防災への執筆依頼。災害調査体験談がテーマの由。 2010/10/16 00:38:13

2010/10/19

松寿園火災の資料整理 id=121

10月15日、竹中工務店の吉田克之氏より建築防災への原稿依頼の話があった。その際、松寿園火災の資料が少ない、とのことだった。  1987年、東京理科大学火災科学研究所は警視庁からこの火災について鑑定嘱託を受け、沖塩研究室は人間行動から見た火災の時刻推移を受け持った。これは、火災直後に生き残った利用者たち、寮母、消防士から警察が聴取した調書を元に、塚田さんたちと一緒に調べたものだった。  当時のファイルを取り出し、久し振りに見る。同時に、ネットでこの火災に関する情報を調べると、色々と気になる記事を発見。  例えば、論文などに引用されている消防防災博物館「調べる特異火災事例」での「松寿園」の項は、全体には良く整理されているものの、「・・・すべり台が設置されていたが、ベランダと居室とに落差があったため、バルコニーへ出られず使用されなかった」との記述は違う。居室とバルコニーとの段差のため、車椅子で避難しようとした3人は自力では出られず、寮母の手助けを必要としたが、その3人以外に段差が原因でバルコニーへ出られなかった人はいない。すべり台が利用されなかった理由は、段差ではない。  日本グループホーム学会の「火災の動向と法制度」にも、「車椅子のお年寄りたちは、バルコニー出入口のわずかな段差を越えられずに逃げ遅れてしまったのです」とあり、これも間違え。  沖塩研究室で行なった松寿園火災調査の結果は、守秘義務ともからみ何処にも発表していないので、何らかの形での公表の必要性を感じた。  10月16日(土)と17日(日)は、松寿園火災の資料整理に費やした。 2010/10/19 18:00:50

NECネッツエスアイ飯田橋新本社見学 id=122

10月18日(月)15時から、日本建築学会FMWGによるNECネッツエスアイ飯田橋新本社を見学会。参加者は、小鷹、本江、石曽根、榊原、山田、丸山、鈴木と私の8人。  最初に案内された2階のプレゼン室には、平勝文本部長らICTソリューション推進本部のメンバーの外、松岡利昌氏がおられ驚く。氏は、この会社のオフィス造りに関わっておられる由。  2006年10月に社長が山本氏となって以来、翌年2月のプライベートフェアでEmpowered Office宣言、SECIモデルを参考に2008年1月には営業部門にフリーアドレス導入、同年11月技術フロアにもFA導入、品川本社は2009年の日経ニューオフィス推進賞<情報賞>を受賞など、次々にオフィス改革で成果を挙げてきている会社。  受賞した品川は200人程度のオフィスだったが、今回それを含め3,000人が飯田橋に集結。前は2つのビルで8,300坪だったが、今回の統合で5,400坪となり、オフィス面積を30%以上削減。  まだオープンしたばかりで、明日がオフィスのお披露目とのこと。熱心な取り組みに好感が持てた。  見学終了後、17時半頃から近くの牛タン屋で、来年3月のFMシンポの内容と次回の見学先の打合せ。 2010/10/19 18:03:35

2010/10/21

日本ビルヂング経営センター30周年記念パーティ id=125

10月20日(水)17時40分から日本工業倶楽部会館3階で開催の、(財)日本ビルヂング経営センター設立30周年及び日本ビル経営管理士会設立10周年記念パーティに出席。  1991年に始まったビル経営管理士の試験委員を、第1回以来続けていることから招かれたもの。 2010/10/21 01:05:57

2010/10/23

帝国ホテルでの「NTT 先輩方との交流会」 id=128

10月22日(金)11時半から帝国ホテル孔雀の間で開催の、「日本電信電話㈱ 先輩方との交流会」に出席。多くの人たちと懇談できた 2010/10/23 01:17:20

建築学会図書室で松寿園火災文献調べる id=129

10月22日(金)14時前から30分程、芝の日本建築学会図書室で松寿園火災関係文献を調べる。  日本火災学会誌「火災」170号Vol.37, No.5, 1987に、東京消防庁調査課「特別養護老人ホーム『松寿園』火災」(p.1~5)、川越邦雄「東村山『松寿園』の火災によせて」(p.6~20)の2編があった。前者は客観的事実が主で、特に問題を感じる記事はなかった。後者は、米国のチェックリストなどを紹介しながら、スプリンクラー義務付けなど安易な法改正に走ることへの危惧を述べた好論文。 2010/10/23 01:20:25

2010/10/25

豊島区分譲マンション管理セミナーと規約改正案 id=133

10月23日(土)13時半から上池袋コミュニティセンターで開催の、豊島区分譲マンション管理セミナーに出席。豊島区都市整備部に、マンション担当課が今年新設された由。「理事会運営マニュアル」と「管理のレベルを高めるチェックポイント」の二つの講演を聴く。  2004年1月にマンション標準管理規約の改正が行なわれたが、樹林館の管理規約はそれへの対応を怠っていた。夜、次回の総会に向けた規約改正案を作成。 2010/10/25 01:33:27

2010/10/28

建築学会情報システムシンポジウム論文WG id=138

10月27日(水)17時から日本建築学会で開催の、情報システムシンポジウム論文WGに出席。  12月9日10日建築会館で開催の、第33回情報・システム・利用・技術シンポジウムへの応募論文/報告の査読結果を踏まえての採否決定、司会者の選出などを行なった。 2010/10/28 23:42:01

第5回JFMA賞審査委員会第1回 id=139

10月28日(木)10時から浜町の㈳日本ファシリティマネジメント推進協会で開催の、第5回JFMA賞審査委員会第1回に委員長として出席。坂本春生新会長は、ご挨拶の後最後まで傍聴された。  異動による委員交代の澤木英二国土交通省官庁営繕部長と宮嵜清志日経BP建設局長は初参加。北川正恭早大教授、米倉誠一郎一橋大教授の両委員は残念ながらご欠席。  成田一郎専門委員長から、応募物件の概要と専門委員たちの概評報告があり、優秀FM賞11物件と技術賞3物件は全数現地審査対象に決まった。 2010/10/28 23:46:58

2010年09月

2010/09/01

建築行政情報センター評議員会 id=36

9月1日(水)11時から、飯田橋の(財)建築行政情報センターでの臨時理事会と臨時評議員会合同開催に出席、評議員会の議長を務める。一般財団法人への移行に伴う、「最初の評議員の選任方法」が議題。 2010/09/01 22:39:15

2010/09/03

JFMA賞専門委員会 id=38

18時半から浜町の日本ファシリティマネジメント推進協会 (JFMA) で開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。  9月10日締切りの応募状況と声掛け候補が、主議題。  今年度の募集には間に合わないが、9月15日新建築別冊として発売予定の「日本IBM本社ビル1971-2009:建築とFMのライフタイム記録」が話題となった。省エネや省コスト活動から2008年のファシリティコストが1972年の62%に減っているデータ、38年目の性能確認、林昌二氏ら関係者とのインタビューなど、一つのビルの38年の見事な記録。 2010/09/03 00:45:51

2010/09/04

日本オフィス学会広報WGと学会誌委員会 id=39

水天宮の日本オフィス学会で、9月3日(金)11時から開催の広報WGと15時から開催の学会誌委員会に出席。  学会誌委員会では、Vol.2, No.2 の内容が確定、110頁で9月30日発刊。 2010/09/04 00:22:59

塚田幹夫さんに誕生日祝いで昼食ご馳走になる id=40

9月3日12時45分塚田幹夫さんと待合わせ、神楽坂で昼食。塚田さんが早稲田大学尾崎健夫氏と電機大学小林隆行氏と纏め、9月1日発行の「キャンパス再生のすすめー―これだけは知っておきたいキャンパスFM」を頂く。  私の誕生日祝いということで、フレンチの昼食は御馳走になった。 2010/09/04 00:25:51

竹内春男氏出品の能面工房やま能面展 id=43

9月4日(土)15時過ぎ、文京シビックセンター1階で今日から開催の「能面工房やま能面展」へ。かつて共立建設設計担当重役を務められた竹内春男氏が、13年前に夫人を亡くされてから能面作成に打込まれ、近年は毎年出品しておられる展示会。  竹内氏の今年の出品は、白平太、まさかり、鬚べし見の3点。見事な出来。会場で、元共立建設の清水氏から挨拶を受ける。 2010/09/04 23:51:13

2010/09/08

日本オフィス学会理事会 id=47

9月7日(火)15時半から水天宮のJOIFAで開催の、日本オフィス学会理事会に会長として出席。  本学会では、日本学術会議協力学術研究団体の認定学会となるよう前から議論されながら動きが鈍かった。芝浦工大の先生からの要望の手紙が来たことをきっかけに、その基準を具備して申込みを行なう方向で動くことが、本日の理事会で決まった。 2010/09/08 22:44:28

季刊誌OE企画会議とGoogleのオフィス id=48

9月8日(水)13時から、日建設計の会議室を借りての季刊誌OEの企画会議に出席。出席者は、日建設計の山梨知彦、マイクロソフトの長坂将光、竹中の徳本幸男、編集人の小関俊克の諸氏。  9月初めに発刊された秋号は、かなり充実した内容で好評。12月初め刊行予定の冬号の企画打合せ。  山梨氏が、米国のGoogleに招待された4日間の会議とパーティの話は大変刺激的だった。記事にすることは、Googleの了承を得られなさそうだが。無料で1流シェフの料理が3食食べられ、制約が殆どなく、楽しく能力を最大限に発揮できる働き方と環境は、まさに私が理想のオフィスと考えてきたもの。 2010/09/08 22:46:39

2010/09/09

グーグルのコロラドのオフィス(続き) id=50

9月8日(水)、日建設計の山梨氏から聞いたグーグルの米国オフィスは刺激的だった。  山梨氏が4日間の招待を受けた場所は、ColoradoのBoulderと聞いたように思ったので、ネットで調べた。Google Boulderを見ると、山梨氏の言われたように、玄関ホールに卓球台があり、ゲーム機やクライミングウォールがあり、マッサージ椅子もある。山梨氏の話では、執務時間中に卓球をしたりゲームをしている職員が少なくなく、職員の管理はまったくない。無料で1流シェフの料理が3食食べられる。センターオフィスの職員数は100人位、20ヶ所位近くに分散している職員も、食事時には集まってくる。デッキからは、ロッキー山脈の眺めが美しい。  世界中からの招待客は、ホテルに泊まるが朝食もホテルで摂らずにオフィスで。日程表にトレッキングがあり、ロッキー登山でもあるのかと思ったらGoogleのオフィス探索のしゃれ。一方、職員でオフィスを抜け出しロッキー山麓を散策する人たちも多いとのこと。  何故招待されたのか山梨氏から話はなかったが、3D ツールのGoogle SketchUp がGoogle Boulderの仕事の一つであることで、BIMの日本の第一人者としてではないかと考えられる。 2010/09/09 20:57:12

2010/09/18

設計料はコンドル8%、アアルトのメゾン・カレは100% id=66

9月17日(金)12時から白金台の白金亭で開催の、大学同級生8人の会に出席。  建築設計料が話題となり、コンドル展の資料の中に先生が岩崎などに請求した設計料が8%とあり、メゾン・カレの設計でアアルトが受取った設計料はなんと100%、と槇の話。住宅の設計では10% 貰っても何時も赤字だったと神谷。  写真前列左から宍道(元理科大教授)、槇。 2010/09/18 00:39:42

2010/09/21

文学座「トロイアの女たち」 id=71

9月20日14時から文学座アトリエで、「トロイアの女たち」を観る。エウリピデス作のこのギリシャ悲劇の初演は、紀元前415年すなわち今から2425年前。  10年にわたりギリシャの攻撃に篭城して抵抗していたトロイアは、ギリシャ兵が忍んでいる「トロイの木馬」を城内に入れて壊滅した。敗れたトロイアの王妃は、夫の王と総大将だった自慢の息子を失い、娘は敵の将軍の妾に、勇敢だった息子の血をひくからと孫も殺され、息子の嫁も連れ去られ、自分も敵の奴隷に。  世界各地で今も続いている諍い、愛する者を理不尽な暴力で失う悲劇に思いを馳せた。 2010/09/21 00:39:59

2010/09/23

JFMA坂本春生会長と id=74

本年6月JFMAの会長に就任された坂本春生さんから、表敬訪問をしたいとの申し入れがあったが、当方がJFMAに出向くことにした。  9月22日(水)15時からJFMA会長室において、井上常務理事と池田事務局長同席で会長と話し合う。  まず当方から、わが国におけるFMの歴史、JFMA設立の経緯などをご進講。その後会長から、JFMA賞やFM資格などの今後の検討課題について、積極的な発言があった。北海道通産局長や西武百貨店副社長などを務められた方だけに、前向きの話で気持良かった。 2010/09/23 01:54:27

2010/09/25

佐倉の川村記念美術館へ id=77

9月25日(土)、朝曇っていた天気が午後気持ち良い快晴となったので、急に思い立ってSNS沖塩研究室で網野君から紹介のあった川村記念美術館に向かう。  13時40分頃家を出て、日暮里での京成の特急、佐倉での美術館行無料バスの連絡が良く、1時間40分ほどで着く。  青空の下、美しい緑に囲まれた海老原一郎氏設計(2008年の増改築は当初海老原氏の下で担当した根本浩氏)の美術館の建築も、ひと際目を楽しませてくれる。  マーク・ロスコのロスコルームや、企画展バーネット・ニューマン展などを楽しむ。  レストランでお茶を飲んだ後、自然散策路を歩いて帰宅の途に。  網野君のおかげで、有意義な半日を過ごすことができた。             2010/09/25 23:06:22

2010年08月

2010/08/02

小野邸で隅田川花火楽しむ id=3

理科大卒業生の小野(旧姓:松永)典子さんから案内を頂き、隅田川花火を観るため、18時過ぎ向島の小野さんのビルに伺う。今回の参加者は、昨年より100人多い220人とのこと。エレベータで4階の和室に案内されるが、各階にすでに大勢の客の姿が見えた。3階は民主党の代議士と報道関係者の由。  理科大建築1期武井研出身の糸井孝雄氏と同室。そこでご馳走になった後、19時5分から屋上で花火見物。小野ご夫妻、内田祥哉ご夫妻、日刊建設通信新聞社の大澤正次社長、西山英勝会長らと懇談しながら。内田先生から紹介された国際技能振興財団の城多秀年氏は、元ブリヂストンで鵜澤昌和先生を良くご存知でピアニスト故園田高弘の親戚の由。  間近に観る壮麗な花火に堪能し、20時半終了後間もなく小野邸を辞す。押上までの道も、地下鉄半蔵門線も、花火見物客で混雑。 2010/08/02 02:16:13

2010/08/04

日刊建設通信新聞社から「復刻建築夜話」寄贈さる id=4

7月31日隅田川花火を観る会で会った日刊建設通信新聞社大澤正次社長から、8月3日(火)「復刻建築夜話」が送られてきた。この本は、本年3月同社から寄贈を受けた槙文彦が「読み始めると中々面白い。・・クラス会の人たちで読みまわしたら・・」と回覧中のもの。  その話を大澤社長にしたら、「誠にもって発行者冥利につきるお話」と喜ばれ、私も寄贈を受けた次第。 2010/08/04 17:18:35

2010/08/15

南の島で戦死したテナー歌手の歌が島で覚えられていた id=5

数年前から認知症となられた私の大学と職場の先輩を、私は7月小淵沢のご自宅に見舞いました。ご夫妻とも、クラシック音楽通で、昔はN響定期会員で日比谷公会堂に通われていたことを知っていました。お宅に伺った際に、戦前戦後の世界的ピアニストレオ・シロタ一族の悲劇を画いた映画「シロタ家の20世紀」、この映画が1937年の音楽コンクールでピアノ部門1位の藤田晴子さんの遺産で作られたこと、終戦直後私が高校時代の学園祭で彼女が演奏したときの話なども紹介しました。 その後、彼を介護しておられる奥様から、丁重なお礼状を頂きました。その中に、「藤田晴子さんのコンクールの話から思い出しました」と次のような話が綴られていました。 「私の従姉が当時大連から東京音楽学校に来ておりました。そこで親しくなった彼が、例のコンクールに出、1位なしの3位(テナー)に入りましたが、その直後に出征。呉から出港、フィリピン沖で戦死とのことでした。5年ほど前、生き残られた方から『ようやく住所を探しだしました』と従姉に連絡がありました。その方は、遺族の方々と度々墓参に南の島に行っていらしたが、『高齢になって今回を最後にするので是非』と従姉を誘って下さいました。従姉が娘と同行しましたところ、島の老人が『歌の上手な兵隊さんが皆と一緒に歌ってくれた』と、日本語で『かやの木山』などを覚えていて歌ってくれたとのこと。」「出征前、彼が従姉と銀座を歩いていて、気まぐれに店でレコードに吹き込んだ1枚が彼の弟の家に残っていて、先日CDに直したものを私にも1枚呉れました。その中に『かやの木山』も入っていました。南の島から帰国した従姉が、不思議な話と申し、涙ながらに話してくれました」。 この手紙のこの話を、私だけで止めおくのは勿体ない感じがし、65回目の終戦の日を迎えた今日、紹介しました。 2010/08/15 02:04:50

戦死したテナー歌手(その2) id=6

戦死したテナー歌手の話を手紙に書いて下さった先輩夫人に、この話を他の人たちに伝える了解をと、8月15日昼過ぎ電話する。  戦死したテナー歌手は中野一郎氏、従姉さんは旧姓高橋品子さんと知る。  ネットで調べると、中野氏の戦友増沢康正氏の「中野一郎戦友のレクイエム」に、感動的な話が書かれていた。高橋品子さんは、戦後ジャズピアニストとして活躍、二人に間に生まれた子供は、現在ジャズシンガーの山崎瑞江さん。2003年夫の山崎比呂志と共演のCD「How deep is the Ocean 父に捧げるレクイエム」を発売。数年前、中野一郎の亡くなったフィリピンセブ島リロアンの教会脇祭壇で、この歌を捧げたとのこと。  「中野一郎戦友のレクイエム」と山崎瑞江さんの紹介を記す。 中野一郎戦友のレクイエム   増沢康正 昭和19年12月5日深更、第5中隊の中野一郎は、第八次多号作戦に参戦するため、細川艇隊の指揮艇のクルーとして、リロアン砂浜達着場から、オルモックに向い出撃した。その時の隊員約七十人のうち四十九人は、「12月9日オルモックにて戦死」の旨、戦友会名簿に書かれている。その中には、細川隊長の名も同期の松山寛の名もあるのに、中野一郎の名前がない。細川隊長と運命を共にしたと思われるのに、なぜ名がないのだろう・・・思えば六十年の余、その疑問に答えられなかった。ところが、今年のセブ島慰霊のツアーに際し、事情はようやく明らかになり、改めて愴々たるレクイエムを奏でることになろうとしている。 中野一郎と言えば、リロアンの教会前の広場にて、「オー・ソレ・ミオ」、「帰れ!ソレントへ」、「サンタルチア」等のイタリア民謡を素晴らしいテノールで朗々と歌い、部隊一同を大いに沸かせた大歌手であった。先日、東京駅八重洲口にて、事務局は中野の遺族二人と会見することになった。そこでの話を要約する。中野は、昭和17年音楽学校在学中に結婚し、翌年瑞江さんが誕生した。その4ヶ月後、18年12月、中野は学徒出陣する。夫人の品子さんは、乳飲み子を抱えて御両親のおられた大連に渡る。戦後は、東京にてジャズ・ピアニストとして活躍される。あるとき、小石が入っただけの遺骨箱が来て、「戦死地は、ガンギボット」だという公報が来た。「ガンギボット」などという地名が品子さんの口からすらすら出たのに驚く。しかしお二人の姓が中野でなく津田と 山崎であるので、思い切って伺ってみると、お二人とも。旧姓は「高橋」だといわれた。私は、あっと驚いた。「高橋一郎(愛知県)」なら前述の戦死者名簿にあったのだ。5中隊の同期は殆ど長野、山梨、神奈川出身だったので、愛知県籍なら古兵殿だとの思いこみで、中野の探査に繋がらなかったのであった。中野は、音楽学校の愛しい後輩である高橋品子さんと結婚して、高橋家の養子となったが、音楽公演ではすでに全国を風靡したテノールの中野一郎で歌っていたのである。それから50何年か経った平成14年、瑞江さんは、自分のジャズナンバーのCDを、初めてリリースした。How deep is the OceanのタイトルにDedicated to My Fatherと添えた。戦場の海に消えた父に捧げるレクイエムである。山崎比呂志さんのドラムを始めメリハリの利いたピアノやコントラバスが軽快に演奏され、その中で纏綿たる瑞江さんの美声が大きな感動をもたらして来る。このCDを墓前に供えるべく長野県波多町の中野の実家を何十年ぶりかで訪ねた時、中野の弟さん(瑞江さんの叔父さん)が土蔵にあったという一枚のレコードを差し出した。これこそ、品子さんが長年探し続けていた幻のレコードであった。昭和17年の暮れ、品子さんの伴奏で中野が「オー・ソレ・ミオ」と「かやの木山」の2曲を吹き込んだ貴重な一品である。かけてみると、ノイズ混じりながら、品子さんにとって昔の彼の懐かしい歌声が流れた。瑞江さんにとっては、初めて聞く父の声である。二人とも胸の内に熱いものがこみ上げて来たことは、想像に難くない。 レコードをダビングしてCDを作った。これを持ってリロアンへ行く。そして、教会脇グロットのマリアの祭壇で奏でる、という。中野の霊よ、愛娘が、こんなに成人して、君の歌を六十有余年隔てて君に捧げる。君の肉親が、はるばるとここにやって来ている。非情な運命による儚かった縁を慰めつつも、君との出会いを感謝し、心から君の冥福を祈っている。どうか見そなはして欲しい。(五中隊増沢)  [リロアン会会報より抜粋] ジャズシンガー 山崎瑞江 MIZUE YAMAZAKI 声楽家の父とピアニストの母を持ち、幼少のころより音楽に接して育つ。松谷譲氏に師事しジャズボーカリストとしての基礎を学ぶ。吉本栄(sax)とバートランドファイブの専属シンガーとなる。その後、本格的にギターの中牟礼貞則トリオ(稲葉国光(b)、山崎弘(ds))のボーカリストとしてプロデビューする。以降、ヒルトンホテル、ホテルオークラ、東京プリンスホテル、赤坂プリンスホテルなど都内の一流ホテルの専属ボーカリストとして八城一夫(p)トリオ、猪俣猛とウエストライナーズ、鈴木康充(g)トリオなどと共演、数多くのステージに立つ。宮沢昭(ts)等の2枚のボサノバアルバムにも客演。レナウンやエッソのコマーシャルソングなども歌う。最近では、夫である山崎比呂志(ds)トリオと共に。ライブハウスやコンサート活動をしている。リズム感の良さと、繊細で個性豊かな表現力には定評があり、自己のスタイルを持っている数少ないボーカリストである。2003年3月には、夫の山崎比呂志プロデュースによる念願の夫婦共演CD”How Deep Is The Ocean「父に捧げるレクイエム」”を発売。 2010/08/15 21:37:29

2010/08/21

JFMA資格制度委員会 id=15

8月20日(金)15時から、日本ファシリティマネジメント推進協会(JFMA)で開催の資格制度委員会に委員長として出席。今年度のファシリティマネジャー資格試験合格者について討議、試験委員会提案の通り承認。 2010/08/21 11:23:36

宇宙船ゼミで内田祥哉氏のサステナブル建築 id=16

8月20日(金)18時半から京橋のINAX 8階セミナールームで開催の、宇宙船ゼミに出席。講演は、内田祥哉氏の「サステナブル建築と寿命」。  終了後20時半から、近くのカフェ「ラ・ポエム」で懇親会。22時少し前まで。 2010/08/21 11:25:35

2010/08/24

南の島で戦死したテナー歌手中野一郎に纏わる話の年譜 id=19

南の島で戦死したテナー歌手中野一郎に纏わる話を、8月15日終戦記念日の私の日記に2つ書きました。この話の年譜は次の通りです。 ・1942年(昭和17年) テナー歌手中野一郎、東京音楽学校後輩高橋品子と結婚 ・1942年12月28日 独唱中野一郎、ピアノ伴奏高橋品子、銀座で「O Sole mio」「かやの木山」を気まぐれにレコード録音 ・1943年8月 中野一郎日本音楽コンクールで3位入賞(1位なし)。瑞江誕生 ・1943年12月 中野一郎学徒出陣。中野一郎は高橋家の養子となり高橋一郎に改名 ・1944年12月5日 フィリピンセブ島リロアンから出撃。 同年12月9日 オルモックにて戦死 ・194?年 小石が入った遺骨箱が品子に。戦死地ガンギボット ・戦後、高橋品子はジャズピアニストとして活躍。再婚し津田姓に ・2003年3月 娘瑞江は夫の山崎比呂志とHow Deep Is The Ocean(父に捧げるレクイエム)のCD発売 ・2003年6月 瑞江がこのCDを父の墓前に捧げるため、父の実家長野県波多町を訪ね、1942年に両親が録音したレコードを発見、CDに ・2006年頃 一郎の戦友で生き残った人たちが、高橋品子を探し出し会う。生き残った戦友たちは、戦後遺族の方々と墓参に南の島へ行っていたが、皆が中野と呼んでいた一郎の戸籍名が高橋に変わっていたこと、品子が再婚し津田姓になっていたことから、一郎の遺族を探し出したのは60年後。 増沢康正氏、リロアン会会報に「中野一郎戦友のレクイエム」を書く ・2006年頃 一郎の戦友たちと80才を超した品子と瑞江、フィリピンセブ島リロアン訪問。教会脇の祭壇に1942年の一郎の歌と山崎瑞江夫妻のCDを捧げる。そこで、セブ島の老人が「歌の上手な兵隊さん皆と一緒に歌ってくれた」と、「かやの木山」などを日本語で歌う  なお、高橋品子さんは今年7月に88才で死去された由。生き残った戦友増沢康正氏は健在で、8月22日沖塩は電話で話をしました。 2010/08/24 23:29:28

2010/08/25

赤坂の芸者さん出演の国立劇場での日本舞踊の会 id=22

仙台ロイヤルパークホテル源氏香のウェイトレスから赤坂の芸者になった、佐藤麻希子(赤坂真希)さんと佐藤真紀(赤坂真由)さんが出演する藤間流日本舞踊の会「藤葉会」を観るため、国立大劇場に8月25日(水)11時過ぎ着く。  最初は、会主藤間秀嘉の「廓八景」。3番目が真紀さんの「四君子」、2年前より大分腕を上げている。昼食後、14時10分頃から真希さんの「傾城」。昔の傾城とはこのようなものだったのか、を感じさせる衣装と踊り。  楽屋で写真を撮った後、既に始まっていた三紀子さんの「夕立」を観て帰る。見事な踊り。 2010/08/25 23:38: 10

2010/08/26

和田幸子さんからネクタリン贈られる id=24

地元長野で活躍している理科大卒業生の和田幸子さん設計の、果樹園を持つ年配のご夫婦の家が2008年末長野市郊外に完成。  そのご夫婦からのご挨拶状と収穫物のネクタリン、その住宅が4頁にわたって紹介されている信州の情報誌「KURA」2010年7月号が、8月24日(火)和田さんから送られてきた。  「幸子さんには、我が家の設計をお願いし、現在快適に過ごさせて頂いております。隣に息子一家が建てる家の設計もお願いしました。沖塩先生には、感謝の念で一杯でございます」と建主の挨拶状にあり、驚く。建主に信頼されている卒業生の活動の話は、聞いて本当に嬉しい。 2010/08/26 01:35:52

2010/08/28

日経ニューオフィス賞懇親パーティ id=27

8月27日18時から日本経済新聞社東京本社6階カンファレンスルームで開催の、第23回日経ニューオフィス賞表彰式後の懇親パーティに出席。  会場では先ず、「環境賞」受賞の「グリーンワイズ」田丸雄一社長からご挨拶を受ける。岡村製作所中村喜久男会長、木川田一栄大阪大学教授、平手小太郎東京大学教授、三栖邦博NOPA会長、経済産業省高辻郁史日用品室長、竹中工務店服部紀和顧問、大川徹、岡晴信の諸氏、清和ビジネス和泉龍吾社長、日刊建設通信新聞社大澤社長、NTTファシリティーズ塚田敏彦担当部長、イトーキ山田匡道会長、川島謙治社長室長、内田洋行向井真一社長、日本インテリアデザイナー協会川上玲子理事、JFMA坂本春生会長、池田芳樹事務局長、中津元次、松成和夫、成田一郎の諸氏ら40名位の方々と懇談できた。  菊竹清訓審査委員長との話の中で、この日記に書いた「南の島で戦死したテナー歌手」のことを話す。島の老人が「歌の上手な兵隊さんに教えて貰った」と「かやの木山」を歌ったことを言うと、大変感動されるとともに、「その人は海軍だったろう、当時の日本海軍で南方に駐留した兵隊たちにはレベルの高い人たちがいた」と言われた。  審査委員の仲隆介氏は、懇親会には現われず。 2010/08/28 13:55:08

2010/08/29

公立昭和病院増改築落成式 id=29

8月29日(日)14時より小平の公立昭和病院で開催の、増改築落成式に参列。本病院増改築工事の施工者選定に技術提案型総合評価入札方式を採用することになり、2006年その総合評価審査委員会委員長を務めた関係でのご招待。  設計は、プロポーザルで久米設計。限られた敷地で診療機能を止めずに行なう3期7段階の4年を超える複雑玉突き増改築だったが、落札者戸田建設は無事故で完成、良かった。  15時頃から施設見学、16時頃から落成パーティ。 2010/08/29 21:40:08

第ニ回ゆるい建築サロン勉強会

タイトル:仲の四方山話

沖塩研のOBなら仲さんを知らない方はいないと思いますが、
仲さんは現在NAKA Lab.代表として「働く」×「遊ぶ」の「生きる場」プロジェクトを立上げ、
働く環境を豊かにしたいと全国を講演で飛び回り、また琵琶湖湖畔にて新しい働き方を模索・
実践しています。仲さんから「真面目に」お話を聞ける貴重な機会です。是非ご参加ください。

10月2日(木)17:00~20:00、森戸記念館2階第一会議室において沖塩研第1期卒業生の
仲隆介さんのお話を聞く会を開催いたします。

第一回ゆるい建築サロン勉強会

中田準一先生をゲストスピーカーに迎え、先生の建築観を語っていただきました。

中田準一先生を知らない方への情報
中田先生は前川國男建築事務所のご出身で、2部の非常勤講師を長く務められた方です。

日程 :3月8日(土) 13:00〜15:30(予定)
会場 :森戸記念館第2ホール(会場の入場時間等は後日追って連絡します。)
参加費:500円(今回は会場での飲食等ができません。二次会(飲み会)は三々五々適宜お願いします。)