沖塩研究室」カテゴリーアーカイブ

2011年04月

2011/04/10

2週間ご無沙汰 id=419 3月28日(月)夕方、喉の痛みで風邪気味と感じてから2週間、SNSの沖塩研究室への書き込みをさぼった。症状は大したことないが、用心のため外部の会議や委員会は欠席した。  そろそろ書き込みを復活させる予定。この間このSNSは、網野君のお陰で何とか途切れないで済んだ。網野君有難う。 2011/04/10 21:11:45

庭の山吹満開 id=420 先週から、自宅周りで染井吉野が満開。庭でも山吹が満開。写真の山吹の右側の山椒も新芽が瑞々しい。                     2011/04/10 21:13:50

2011/04/11

坂本会長からJFMAの今後について話伺う id=423 4月11日(月)15時、JFMAに坂本会長訪問、JFMAの今後について40分ほど話を伺う。非常勤職員や理事にも定年制を敷くとの話など、会長の考え全てに私は賛意を表明。 2011/04/11 23:57:28

建築行政情報センター評議員会議事録署名 id=424 4月11日(月)JFMAの帰途、16時20分頃神楽坂の建築行政情報センターに川島氏を訪ね、3月25日の評議員会議事録に議長として署名。 2011/04/11 23:59:34

2011/04/12

東日本大震災の大きい余震で樹林館エレベータ止まる id=425 帰宅して間もない4月11日(月)17時20分頃、大きい地震。東日本大震災の余震で、震源は福島県東部。いわき市など震度6弱、樹林館9階の揺れは、大震災以後最大。エレベータは止まるも、今回は18時半頃復旧。 2011/04/12 00:02:14

2011/04/13

東日本大震災被災者と戦後の私たち一家が重なる id=427 東日本大震災の被災者たちを想うと、肉親・住まい・財産・収入の道などを無くし、今後どうなるのか、「お気の毒」というのでは済まない、何とも言えぬやるせない気持ちになるのは、私だけでなく多くの日本人に共通だろう。  しかし、戦後の私たち一家は同じような状況だったことを、ふと思い出した。戦後すぐ父に死なれ、少しあった蓄えは戦後の物凄いインフレであっと言う間になくなり、財産も収入の道もなく、家は焼け残ったものの借家だったため家主から追い立てを食い、明日どう生きられるか先の全く見えない日々だった。高校生の私、良妻賢母型の母、小学生の妹と3人、「兎も角、今できることに全力を尽くそう」との気持ちで生き抜いてきたのだった。親戚や多くの知人に色々と助けて頂いた。これは私たち一家だけでなく、当時の多くの日本人に共通していたように思う。私自身の昔を思い出すことにより、現在の被災者の方々に「大丈夫、必ず立ち直れる」「戦後の多くの日本人は、同じような状況だった」と言って上げたい気持ちになった。  そして、私たちが助けて頂いたように、私たちが被災者の方々にお役に立つことは何かを考えたい。  また、このSNSでできることはないだろうか? 2011/04/13 01:18:58

2011/04/15

樹林館地階ドライエリアに落ちた野良猫を捕まえる id=431  4月14日(木)20時前、お隣嘉糠さんの家の前を通ると、娘さんから「樹林館のドライエリアに猫が落ちているらしい、鳴き声がする」と。ドライエリアへ行って見ると、空調室外機の棚の間に黒猫が蹲っていた。嘉糠さんやそのお隣の飼猫ではなく、野良猫とのこと。嘉糠嬢は、猫使い的で猫にやさしい声をかけ、2時間かけて段ボール箱に猫を追い込んだ。その後近くの公園で放した由。 2011/04/15 01:11:51

2011/04/18

内田祥哉先生日本学士院会員ご就任を祝う会 id=435 4月17日(日)16時から学士会館で開催の、内田祥哉先生日本学士院会員ご就任を祝う会に出席。東日本大震災を受け、会の名前は「祝う会」から「先生とお話する会」と変わった。  最初に内田先生のご挨拶があり、今回の震災で大きい被害を受けた陸前高田は漁業の町だけでなく、気仙大工といわれる社寺建築など日本中で活躍している伝統工法の優れた大工さんを輩出している町とのこと。気仙大工に活躍の場を与えて欲しい、との話。  5年前まで東北大学教授だった伊藤邦明氏から、東北大学建築学科棟の被害状況の話を伺う。倒壊はしなかったが、低層から高層に切り替わるところの柱が酷いダメージ。彼の設計した隣の14階建ては無傷で、そこから撮った写真を送って下さる由。  横田昌幸NTTファシリティーズ名古屋支店長からは、大震災での通信局舎被害状況を聞く。平屋のALCや鉄骨造13棟が壊滅した由。船や車が外壁を突き破ったとのこと。斎藤光巧君設計の石巻電話局は、電源室を2階にしていたお陰で、津波は3階の高さまで来たが、2階には水はそれほど入らず、復旧は早かった由。  高橋靗一、宇野英隆、巽和夫、武者英二、小原誠、原広司、尾島俊雄、山下和正、八木幸ニ、本多昭一、塚越功、友沢史紀、長澤泰、陣内秀信、長島雅則、布野修司の諸氏ら50人以上の方々と親しくお話できた。長島氏は、つい先日MITでの会合に出席、ミッチェル先生の墓詣りをされた写真を見る。 2011/04/18 01:50:28

2011/04/20

JFMA賞専門委員会で被災地のトイレが話題に id=439 4月18日(月)18時からJFMAで開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。  東日本大震災で、BCPなどFMの重要性が再認識されるはず、との話から、災害時のトイレ対策が話題となった。下水が使えなくなる問題、仮説トイレは汚物がすぐ山もりとなる問題、非常時のための汚水浄化槽を準備している自治体の話など。 2011/04/20 02:13:58

2011/04/20

伊藤邦明氏より雄勝硯伝統産業会館の写真 id=440 内田先生の会で久し振りに会った伊藤邦明東北大学名誉教授より4月19日(火)メールで送られて来た、津波後の雄勝硯伝統産業会館の写真を見る。コンペで入賞して彼が設計したこの建築は、津波対策として収蔵庫は地上5m、設備機器は地上10mの屋上に置いたため、10mを超す津波だったが周辺の惨状とは違い、写真からは無事のように見える。  10年以上前、宮城大学にいた時2階建てだったこの会館を見学、来館者の少ないこの会館を7階建に増築する話を聞き、当時は少し疑問を感じたが、今回の津波では増築したことが幸いした模様。その設計者が伊藤氏とは知らなかった。 2011/04/20 02:20:11

2011/04/22

理科大近代科学資料館企画展「火災の科学」打合せ id=444 4月21日(木)15時、理科大近代科学資料館で、辻本研究室の西田幸夫研究員と資料館大石和江コミュニケーターに、持参の火災鑑定関係の私の著作やスライドなどを見せる。大石さんから「全部を展示したい」と言われ、預ける。  企画展「火災の科学(江戸の火災から高層ビル火災まで)」は、5月18日から8月8日まで開催される。  展示について色々と意見を述べたが、オープンまで日がなく、展示パネルも殆ど作成済みで、もう少し早く相談に乗っていれば良かった。 2011/04/22 01:11:02

2011/04/23

井戸の不調は地震で地下水位低下が原因か id=446 4月22日(金)9時過ぎ、協和総合設備生江氏来館。先月から空気が入って水の出が悪くなった井戸ポンプを診て貰う。井戸の水面を覗きながらポンプのスイッチを入れると水面の泡立つのが見え、地震の影響で地下水の水位が下がったのが原因らしい。来週パイプを少し長くして貰うこととする。 2011/04/23 00:59:32

2011/04/23

JFMAのFM普及戦略会議最終回 id=447 4月22日(金)13時半からJFMAで開催の、FM普及戦略会議に顧問として出席。今回は最終回。前回欠席したこともあり、私から7点程意見を述べた。  ①今までJFMAとの関わりが少なかったFM関連研究者たちにJFMAとの協力を求める。長澤泰副学長、遠藤和義教授(元東京都山本、東電児玉両氏のFM博士論文指導)、吉田倬郎教授らを擁する工学院大学の先生方、板谷氏の博士論文指導の早稲田大学の小松幸夫教授、国土交通省の審議会答申にFMの必要性を入れさせた東大の野城教授、経営系では古川靖洋関西学院大学教授など。  ②他学会などとの協力。先日尾島俊雄建築保全センター会長に会って坂本さんがJFMAの会長と話ししたら、愛知万博でご一緒したので協力したいとの話。上述の首都大学東京の山本教授は、現在建築学会施設マネジメント小委員会主査。上述の長澤副学長は、建築マネジメント学会を作った筈。  ③FM教育に、通信制大学院を活用できないか。2003年下関の東亜大学が通信制大学院を新設、デザイン専攻の建築・環境の教員は内井昭蔵氏で発足したが、直後に内井氏急死、大学が後任探しで建築家協会と相談したら、「今更新築のデザインよりFMの先生が良い」と私が後任となった話。美大の通信制大学院で、美術関係の学芸員希望などの学生が大勢いる話を紹介。  ④大震災をFM普及のバネに。東北新幹線白河の手前で大地震に会い、9時間車内に閉じ込められた際のJRの対応に感動した人の話を紹介、災害時の顧客への対応は組織の評価に大きく関わること、米国WTCの隣のビルが911で被害を受けた際に事前のBCP訓練が見事だったため事件後48時間で近くのホテルを借りて事業再開できた話(ハイヒールでは逃げ難いので女性は皆走り易い靴を手元に持ち、非常時を考えて近くのホテルを借りられるようにしていた)、21日朝日新聞朝刊のオピニオンでの東京海上日動の指田氏の話などを紹介。  ⑤石巻市雄勝の硯伝統産業会館について、来館者が少ないのに中層棟増築は可笑しいと考えていたが、増築のお陰で大津波を乗り切った話。  ⑥JFMA事務局は、多くの企業からの出向者で成り立っているが、出向して良かったと出向者も企業も感じる方式確立を。  ⑦森民夫長岡市長は建設省でJFMAに対応してくれた方。こういう方々にもっとJFMAへの協力依頼を。 2011/04/23 02:33:50

2011/04/28

建築家橋本文隆氏26日死去の報 id=454 4月27日(水)23時半過ぎ、FAXが入る。計画・環境建築会長の橋本文隆氏が4月26日死去されたとの訃報だった。71才。  理科大1部建築学科で設計製図の非常勤講師を務められたこともあった。  割に最近何かのパーティで久しぶりにお会いしたのに。 2011/04/28 08:49:37

2011年03月

2011/03/01

宇宙船ゼミで内田祥哉氏「戦後の建築基準法」 id=355 2月28日(月)18時半から銀座INAXで開催の宇宙船ゼミに、1時間ほど遅れて出席。内田祥哉氏の「戦後の建築基準法」の、終わり三分の一を聞いただけ。  席に着いた時には、建築基準法のあり方で「持ち主責任」の話だったが、続いて新建築士法の提案。基準法・士法ともに、持ち主責任の考え方に変えようとの提案。  次いで、「伝統的木造建築の新築」の話。大変面白かった。戦前の市街地建築物法では、「社寺建築は例外」としていたのに、1950年制定の建築基準法ではその規定を外した。そのため、伝統的木造建築の新築は建てられなくなった。そのような中で、伝統的木造建築の再建に皆が苦労した話。  焼失した金閣寺の再建では、関野克先生が違法を知りながら京都府教育委員会を動かし現場主任に松本軒吉棟梁を当てて確信犯的に建てられた話。そしてその辺の記録を残しておられる由。更に普通では再建費用に補助はでないが、国宝の庭園の重要要素としての建築として補助金を出させるのに成功した話。  1959年以降は、この問題に建設省が気付き厳しくなりだしたが、唐招提寺南大門の再建では、奈良県庁が知恵を出し、建築ではなく工作物として通した話。この方式で西岡棟梁の法輪寺三重塔、薬師寺東塔の再建が行なわれたとのこと。高さ制限のクリアでも、掛川城再建では、屋根の上部が制限をオーバーしたが、オーバーした上部の三角部分をペントハウスと解釈し許可した話など。  20時半からの懇親会には出ず。 2011/03/01 02:12:18

2011/03/05

季刊誌OE企画会議とマイクロソフト新オフィス見学 id=360 3月4日(金)13時から品川グランドセントラルタワーのマイクロソフト新オフィスでの、季刊誌OE(Office Environment)の企画会議に出席。  15時前から、日本マイクロソフト総務・施設管理部CREグループの長坂将光氏の案内で、新オフィスの見学。新オフィスの様々な仕掛けも大変刺激的だったが、この新オフィスの家具は入札結果殆どが海外のものとなった話、FMの管理は殆どグローバル企業の海外勢との話など、長坂氏から様々な刺激的な話があった。 2011/03/05 03:38:14

建築学会施設マネジメント小委員会と送別会 id=361 3月4日(金)18時から、日本建築学会施設マネジメント小委員会に出席。終了後、今期で委員退任の石塚義高、曽根暘子、私の3人の送別会を建築会館内の居酒屋で。参加者はこの3名の他、山本康友、円満隆平、五十嵐健、高橋暁、三橋博巳、山下光博、小松幸夫、板谷敏正、有川智、鈴木晴紀、門脇章子の諸氏。その後、板谷、曽根、鈴木の3氏に誘われ近くのバーで23時過ぎまで2次会。 2011/03/05 03:40:30

2011/03/06

理科大OBOG会 id=363 3月5日(土)18時過ぎから、神楽坂森戸記念館で開催の理科大沖塩研究室OBOG会に出席。  RING ARCHITECTSで上條さんと一緒に活躍中の郷野正広さんによる、台中オペラハウスの話。伊東豊雄設計の不思議な形の建築に、台湾の業者や職人たちとの取組みは感動的。私からは今年のJFMA賞受賞者の紹介。  21時過ぎからは、満月で懇親会。ジュネーブから帰国中の井上みゆきさんが、スペイン人のご主人と参加。 2011/03/06 15:51:37

2011/03/10

JFMA賞専門委員会と懇親会 id=369 3月7日(月)17時から浜町のJFMAで開催の、JFMA賞専門委員会に出席。坂本会長の要望などを踏まえ、次回の賞のあり方を論議。優秀FM賞の視点をより明確にしようと、刺激的な意見が交わされた。  19時過ぎからは、近くの「はじめの食卓」で懇親会。 2011/03/10 02:22:07

ホテル仙台プラザ閉鎖の新聞記事 id=370 朝日新聞3月8日(火)朝刊に、ホテル仙台プラザ3月25日閉鎖の記事。1888(明治21)年創業で地上15階、客室数177、地元資本の名門ホテルの閉鎖は残念。1997年から4年間の宮城大学勤務中は、時々利用した。コーネル大学ホテル学科卒業の社長にも何度かお会いした。1970年代NTTから仙台への出張では何度か利用した159年の歴史を持つ仙台ホテルも、2009年末に営業を止めており、仙台市内から老舗シティホテルが姿を消す。  昨年8月ウェスティンホテル仙台が開業、割安なビジネスが仙台駅前に相次いで進出の板挟みが原因。 2011/03/10 02:24:33

2011/03/13

東日本大震災 id=372 池袋西武に行こうと、3月11日(金)14時40分頃妻と家を出てJR山手線に乗る。大塚駅に差し掛かった時、凄い揺れで電車が止まる。暫く車内に閉じ込められたが、ホームにかかっていた前方車両のドアが外から開けられ、皆降ろされる。  改札を出たところのテレビで、東北が震度7の地震と知る。樹林館のエレベータが止まっていれば早く日立ビルシステムに連絡しようと、樹林館の住人に様子を聞こうと携帯で電話を試みるが全く通ぜず。電車は当分動きそうもないので家に帰ろうとするが、タクシー乗り場も公衆電話も長蛇の列。  妻と家に向かって歩き出して間もなく、空車を見つけタクシーで帰宅。エレベータは止まっているので、9階まで階段で。9階エレベータホールに置いてあった焼き物の甕が転がって割れ水浸し。室内も冷蔵庫や棚の扉が開き収納物が飛び出していた。トイレも水がこぼれていたが、停電していないので助かる。  日立ビルシステムに電話がつながるも、「病院などが先なので、今日中には何とかできると思う」との返事。エレベータが使えるようになったのは、夜1時頃。各階のガスをチェックすると、2階3階は大丈夫だったが、4階以上はすべて止まっていたので、ボタンを押して復旧させる。  根こそぎ人命や生活基盤を奪って行く東北地方の津波の凄さをテレビで見ながら、丁度66年前学徒動員で夜勤中の兵器工場から見ていた昭和20年3月10日のB29による空襲の惨状を想い出していた。  このSNSにご参加下さっている東樹君と渡辺さん、津波被害の大きかった名取にお住まいなので、心配している。  テレビで惨状が伝えられる宮城県の各地は、宮城大学勤務時に訪れた場所だけに胸が痛む。  なお午後出掛ける時、飲み残しのコーヒーカップをパソコンの傍に置いたままにしていた。帰宅してみると、そのコーヒーが愛用しているパソコン2台の中の1台にかかり、パソコンが不調になるという個人的被害があった。 2011/03/13 01:04:28

2011/03/14

東日本大震災での理科大学と宮城大学関係の安否 id=376 東樹純平君(理科大沖塩研1981年卒、名取市在住)は、無事で連絡取れたと塚田先生より。  芳賀沼整君(理科大卒業設計1999年卒)は、津波被災地にいたが高台に逃れ無事との報告が本人からあり。  熊坂恭洋君(宮城大沖塩研2001年卒、広島在住)より、宮城大関係者の安否情報アドレスを教わり見ると、「不明、情報求む」の中に、相模誓雄君(理科大沖塩研1989年卒、宮城大助手、仙台在住)と渡辺由香さん(宮城大沖塩研2001年卒、名取市在住、福島県南相馬市民文化会館勤務)の名前あり。この二人には、地震後何度も電話を試みたが通じない。相模君とは、地震前日電話で話したばかり。無事を祈るばかり。  この情報で無事が判った名前の中に、本江正茂氏(宮城大の私の後任で現在東北大准教授)や宮城大1期生2001年卒の杉山華恵さん、加藤政美君(今月20日結婚と相模君から電話で聞いたばかり)、渡辺一馬君、渋谷一貫君、木村弥生さんらの名前を見つけた。 2011/03/14 04:12:50

2011/03/15

相模誓雄君と電話で話す id=379 3月15日(火)10時前、宮城大学の相模君に電話が通じる。  11日彼は水戸から常磐線で仙台への帰途、北茨城付近で地震に会い、津波が来るというので5階建てビルに避難、避難所で一夜、タクシーで郡山へ。避難所で過ごした後タクシーで13日仙台に戻った由。 2011/03/15 12:55:39

2011/03/17

渡邊由香さんと東樹純平君から「生きてます!」と連絡 id=382 3月16日(水)20時頃帰宅してメールボックスを開くと、「生きてます!」と宮城大学沖塩研究室卒業の渡邊由香さんからメール。  宮城大学の安否ネットで彼女は、「不明、情報求む」となったままだった。自宅の場所は、地図で見ると名取川河口の近くで100%津波の被災地。勤務先は南相馬市民文化会館で、建物は無事だが近くは津波の被災地。原の町から名取までの帰路も海岸沿い。  「私の住み慣れた大好きな町は跡形もなく、瓦礫の山になりました。・・・家族は無事ですが・・・」と、奇跡的に家族全員無事の様子。どこでどうして助かったのかなどは不明だが、本当に良かった。宮城大学の安否ネットの彼女の欄を、「無事」と私の名前で書き直す。  同じく名取在住の理科大沖塩研究室1期生の東樹純平君からも、「生きております」とのメッセージがこのSNSに。塚田さんから13日午後「連絡がとれた」とこのSNSに書きこみがありホッとしていたが、直接のメッセージでご家族も自宅も無事と判り、本当に良かった。 2011/03/17 02:03:47

2011/03/19

長沢常人君の岩手県山田町の惨状 id=386 朝日新聞3月17日(木)朝刊の被害状況地図を見ると、岩手県山田町では「厚さ1m高さ8mの堤防をなぎ倒す津波。中心街は焼け野原」とある。塚田さんからの情報で、「長澤常人君(1987年卒総合設計)は地震時盛岡にいて無事だが山田町の家族と連絡が取れていない」とあった。ご家族のご無事を祈るばかり。  高さ8mの堤防で津波を防げないとすると、海岸沿いには住めない、ということか。今後の対応をどうすれば良いか、見当もつかない。 2011/03/19 00:33:33

2011/03/19

月刊「ガバナンス」清原慶子三鷹市長との対談 id=387 3月18日(金)13時から三鷹市役所で、清原慶子市長と対談。三鷹市が、第5回JFMA賞最優秀賞を受賞したことから、月刊「ガバナンス」5月号の「公共ファシリティマネジメント」特別対談企画で。 2011/03/19 01:11:21

2011/03/21

柴田尚彦君結婚披露宴出席で富山県礪波へ id=391 3月20日(日)14時半から富山県礪波市の柿里本店花御堂で行なわれた、東京理科大学1994年卒業(沖塩研究室)で富山県庁勤めの柴田尚彦君の結婚披露宴に出席。  19日18時18分上野発のMaxとき341号で越後湯沢、19時39分発のはくたか24号で富山へ。富山エクセルホテル東急泊まり。日帰りでも出席可能だったが、万一を考えて前夜富山入り。  20日10時46分富山発の北陸本線で高岡へ。城端線まで40分ほどあったので、駅近くの土蔵造りの町並み(写真)を少し歩く。  11時51分高岡発の城端線で、砺波へ。途中の車窓から、立派な屋敷林に囲まれた家々が点在する礪波平野散居村の田園風景が楽しめた。  1時間半以上余裕があったので、砺波駅から歩いて砺波チューリップ公園、砺波市美術館を観て、披露宴会場近くの四季彩館でコーヒーを飲む。  13時45分頃披露宴会場に入ると、丁度式場から到着した新郎と駅からタクシーで到着した塚田さんに会う。  司会者による新郎新婦の紹介、新郎上司の長谷川道隆富山県建築住宅課長と新婦の来賓挨拶の後、乾杯の発声を私が行なう。新郎が難関校理科大をストレートで卒業したこと、17年前の彼の卒論テーマがファシリティマネジメントであったことなどを紹介した。参列者65人程で、気持ちの良い披露宴だった。  17時50分発のバスで会場を出て、礪波18時10分発、高岡18時47分発、越後湯沢21時9分発で塚田さんと帰京。帰宅は23時少し前。震災後の交通状況を心配したが、往復とも通常と全く変わりなし。2011/03/21 16:52:20

2011/03/23

大震災で出席予定だった催し物次々中止 id=394 東北関東大震災の影響で、予定されていた催し物が次々と中止または延期に。  私が会長を務める日本オフィス学会は、大会を4月9日(土)東北大学で開催予定だった。大学被害甚大との連絡を受け3月15日中止決定。  私が発起人代表で3月23日(水)夜開催予定だった鵜澤JFMA前会長に感謝の会は、18日中止決定。  28日(月)午後東京理科大学事務部局長会議の後の管理職研修で、私はFMの講義を頼まれていた。中止になったと3月22日(火)朝塚田さんから昼過ぎ事務局より電話。  同じ28日午後日本建築学会FMWGで見学予定だった東京海上日動システムズから、延期して欲しいとメールが22日あり、延期を決めた。 2011/03/23 00:43:40

2011/03/26

日本オフィス学会理事会 id=398 3月22日(火)15時より浜町のJOIFA会議室で開催の、日本オフィス学会理事会に会長として出席。  東北大学で開催予定だった第12回大会延期の件、第20回研究セミナー報告など。企画委員会規定改正の件は、再度検討に。個人会員増強の件は、あと2社で100人を超える。 2011/03/26 00:53:31

人間ドック id=399 3月24日(木)8時半から、戸山の国立国際医療研究センターの日帰りドックへ。胃内視鏡検査を含め、今日結果の判った範囲では問題なし。 2011/03/26 00:57:04

JFMA通常理事会 id=400 3月24日(木)13時半から浜町のJFMA会議室で開催の、(社)日本ファシリティマネジメント推進協会通常理事会に出席。来年度暫定予算と会員入会が主議題。退会する個人準会員に永見真利子さんの名前があった。昨年度から始まった地方自治体などの公共会員が、今年度も30増えて70となった。  東北関東大震災に、JFMAとして何ができるかも論議した。 2011/03/26 01:00:47

建築行政情報センター通常評議員会 id=401 3月25日(金)15時から神楽坂の(財)建築行政情報センター会議室で開催の評議員会に出席、議長を務める。 2011/03/26 01:03:34

2011/03/27

芳賀沼整、阿部靖子の両君よりSNSに震災の話 id=405 SNSの沖塩研究室に3月27日(日)朝、理科大卒の芳賀沼整君(1999年卒卒業設計)と阿部(岩堀)靖子さん(1986年卒沖塩研)のお二人から震災関連のメッセージが入った。  芳賀沼君のは、雑誌「新建築」緊急特集「東北地方太平洋沖地震」の「建築関係者のメッセージ」とそれへの彼の投稿文。福島第二原発から2km北の福島県富岡町で、彼が設計し完成したばかりの遠藤邸、しかも地震の2時間前に昼食をご馳走になったお宅が、避難した高台から彼が見ている目の前で津波により海に運ばれていった話。施主の遠藤氏は、放射線の影響で数年間敷地に戻れないかも知れない話など衝撃的。同じ「新建築」の特集では、東北大学の五十嵐教授、本江准教授もメッセージを寄せている。  阿部さんのは、お住まいのさいたま市から実家のある茨城県石岡市へ、2週間前と昨日車で往復された際の状況報告。テレビでは報道されていない茨城県の被災状況が良く判った。 2011/03/27 23:35:59

2011年02月

2011/02/10

JFMA FORUM 2011に参加 id=327 2月8日(火)13時20分からタワーホール船堀で開催の、JFMA FORUM 2011に参加。  坂本春生会長の主催者挨拶の後、米倉誠一郎一橋大学教授の基調講演「新たな経営改革へのチャレンジ」。説得力のある刺激的な講演だった。「モノが売れない→コストカット→賃下げ、でどうなるか。賃金下がれば購買意欲減退、デフレスパイラル」「モノが売れない→賃上げ、でモチベーションを高める経営が必要」「モチベーションとイノベーションが経営のすべて」などなど。  講演後の会長控え室での会長たちとの懇談が、また面白かった。「当選したばかりの河村市長、大村愛知県知事と組んで名古屋でFMの推進を」と盛り上がった。「市民税減税の財源をFMで」と売り込もうと。坂本会長は、愛知万博の事務総長だった関係で名古屋に顔が広く、実現性のある話。  会場で会った理科大沖塩研関係者は、池上宗樹、戸梶大(墨田区)、塚田ジュニアの諸氏。  16時40分から5階小ホールでJFMA賞授賞式。賞状と記念品授与後、審査委員長の立場で私が審査総評。  18時50分からは、2階瑞雲の間でネットワーキングパーティ兼JFMA賞祝賀会。  会長挨拶、高辻経済産業省日用品室長、杉藤国土交通省建築物防災対策室長、韓国FM学会(KFMA)会長Jae-Pil, Choi教授の来賓挨拶の後、乾杯の音頭を取る。  パーティの中ごろ、今回のJFMA賞受賞者たちの紹介があり、最優秀賞受賞の三鷹市清原慶子市長の元気溢れる受賞者代表挨拶があった。 2011/02/10 02:25:05

JFMA FORUM アジアFMサミットに出席 id=328 2月9日(水)11時5分から、タワーホール船堀2階蓬莱の間で開催の、アジアFMサミットに出席。  Jae-Pil, Choi KFMA会長による「韓国FM最新事情」では、現在韓国で100階建高さ500mを超す超高層ビル計画が目白押しの状況の紹介があった。KPF設計、日建設計も協力のロッテスーパータワーは123階建高さ555m。 2011/02/10 02:27:02

2011/02/18

住宅総合研究財団の「すまいろん」休刊 id=336 (財)住宅総合研究財団から、季刊「すまいろん」2011年冬号が2月17日(木)送られてきた。1988年から発行してきたこの季刊誌は、通巻97号のこの号で休刊となるとのこと。毎号贈呈を受けながらあまり目を通していなかったが、住宅問題に関するレベルの高い雑誌であっただけに残念。 2011/02/18 02:53:49

内田雄造東洋大学教授の死去を知る id=337 2月17日(木)送られてきた季刊「すまいろん」2011年冬号に、内田雄造東洋大学教授が1月26日逝去との報があり驚く。1970年代前半、建築学会の日照問題研究会でご一緒し、まだ大学院生だった彼の先鋭な意見は強烈だった。昨年11月20日の鈴木成文元神戸芸工大学長を偲ぶ会で、何十年振りかでご挨拶を受けたばかりだった。享年68歳。2011/02/18 02:57:30

2011/02/25

建築学会FMWGでパソナと内田洋行見学 id=348 2月22日(火)15時から、建築学会FMWGでの呉服橋旧大和証券ビルを改装したパソナグループ本部見学に参加。  玄関を入ると、刈り取り間近の稲の田んぼ。室内には、大根、スイカ、かぼちゃ、トマトなど多様な食用植物が育っている。2009年10月にこのWGで多摩センターの本社を見学した空間緑化のグリーン・ワイズが植物指導をしている由。  人材派遣・人材紹介のパソナが、都会のアーバンファームと名付け、全館で野菜や植物を育てているのには驚いた。参加者は、本江、小鷹、鈴木、榊原、山田、海野に私の7人。  17時前にパソナを辞し、歩いて新川の内田洋行本社へ。理科大卒の三上君が受付で待っていてくれた。ユビキタス協創広場CANVASは、JFMA賞審査で私は2度目だが、何度見ても刺激的。平山信彦執行役員がずっと案内。  16時半過ぎからは内田洋行の会議室を借りて1時間強、今年のFMシンポジウムの打合せ。その後八丁堀の鳥元に席を移し、飲みながら打合せの続きを21時頃まで。最後までの参加者は、本江、小鷹、鈴木、山田に私の5人。 2011/02/25 02:14:58

2011/02/26

オフィス学会広報WGとJFMA FM普及戦略会議 id=350 2月25日(金)11時から水天宮のJOIFAで開催の、日本オフィス学会広報WGに出席。4月9日東北大学で開催の大会が話題。  近所で昼食後、13時から浜町のJFMAで開催の、第2回FM普及戦略会議に出席。坂本座長が身内のご不幸で欠席のため、中津元次副座長が司会。今回のテーマは、地方自治体等公的機関におけるFM普及促進策の検討。  井上常務作成の検討すべき事項と、萩原公共施設FM研究部会長からの提案メモと部会での意見メモを中心に論議。 2011/02/26 13:39:35

2011年01月

2011/01/04

新年おめでとうございます id=276 新年おめでとうございます。 遅ればせながら。 今年も、このSNSヴァーチャル沖塩研究室を宜しく。 2011/01/04 12:47:54

NHKBS「J.ダワーが語る米テロとの戦い10年」 id=277 1月2日(日)20時からNHKBS1で放映の「歴史学者J. ダワーが語る“アメリカ テロとの戦い”を観る。  米国の煽られた愛国心の問題を浮き彫りにした見ごたえのある番組だった。  一昨年玄田有史先生ら東大社会科学研究所の「希望学」を勉強した際、村上龍の「希望の国のエキソダス」とJ. ダワーの「敗北を抱きしめて」が強烈だった。前者のストライキをしている中学生の国会答弁「この国には何でもあります、本当に何でもあります、しかし希望だけがない」と、後者の「1945年終戦直後、焦土と化した日本に来た占領軍が見たものは敗者の卑屈や憎悪でなく、改革への希望に満ちた民衆の姿だった」。  終戦直後は「何もないのに希望だけがあった」日本人、現在は「何でもあるのに希望だけがない」日本人。  番組「米国テロとの戦い」では、戦争に駆り立てる愛国心を煽ったブッシュ大統領とその取り巻きやジャーナリズムの問題点を見事に抉り出していた。ピュリッツァー賞受賞の「敗北を抱きしめて」の著者は、さすがに視点が鋭い。 2011/01/04 12:55:28

2011/01/08

「財界賞」「経営者賞」贈呈式 id=281 1月6日(木)17時50分から東京會舘9階ローズルームで開催の、「財界賞」「経営者賞」贈呈式に出席。今回は、宇宙航空研究開発機構はやぶさプロジェクトの川口淳一郎氏と橋下徹大阪府知事が財界賞特別賞に。  毎年知った顔の殆どいないパーティ。今年は、元「新建築」編集長でこのパーティ初出席という馬場璋三さんと懇談。そろそろ帰ろうかとした時に、JFMAの池田氏が見える。 2011/01/08 00:10:38

ビル関係6団体新年賀詞交歓会 id=282 1月7日(金)12時からホテルオークラ平安の間で開催の、ビル関係6団体の新年賀詞交歓会に出席。  馬渕国土交通大臣の元気の良い来賓祝辞があった。「何時まで大臣を続けられるか」との前置きはあったが、建築基本法を含め建築関係法規の抜本的改正へも強い意欲の表明があった。  本田広昭(オフィス総研)、立石真(建築センター)、今泉晋・清水友三(BELCA)、三橋博巳(日大)の諸氏と懇談した他、多くの方々にご挨拶ができた。 2011/01/08 00:13:21

2011/01/18

プラチナ会で槇のAIAゴールドメダル受賞を知る id=297 1月17日(月)12時から白金台の白金亭で開催の、大学同級生8人の会・プラチナ会に出席。まず、同級生全員に回し読み中の日刊建設通信新聞社刊「復刻建築夜話」が、現在19人終わりこれまでの感想文のコピーを受取る。  出席の槇文彦が、AIA(アメリカ建築家協会)2011 Gold Medalに選ばれたことを祝って、乾杯をする。日本人の受賞は、丹下健三(1966)、安藤忠雄(2002)に次いで3人目。  来年が大学卒業60年になるので、これを最後の全員のクラス会とし盛大にやろうとの話。同期50名のうち生存31名、現時点での出席可能者は25名。 2011/01/18 02:43:58

2011/01/19

JFMA賞入賞者発表会 id=298 1月18日(火)11時から、日本オフィス学会での広報WGに出席した後、JFMAへ。  13時半よりJFMA会議室で、JFMA賞入賞者発表会。今回の参加者には、日経BP社から宮嵜清志建設局長の他日経アーキテクチュアの岡本藍記者も。  坂本会長の挨拶の後、審査委員長として受賞者の発表と審査結果講評を30分ほどする。 2011/01/19 01:25:41

2011/01/23

SAKURA Internet SNS 沖塩研究室への参加 id=302 2006年5月、元永二朗君の薦めでmixiに911研究室を開設した。しかしmixiは、参加者が多過ぎ怪しげなものも散見され多少迷っていたら、翌6月にso-net SNSが始まったことを知り、すぐに沖塩研究室を開設した。理科大と宮城大の多くの卒業生の参加を得て喜んでいたら、2010年2月「so-net SNSを6月で終了」との通知があった。そのため2010年6月から一時、mixiの911研究室に戻った。同年8月、房前君がSAKURA Internet SNSがso-net SNSとほぼ同様のサービスをしていると、ここに沖塩研究室を開設して下さった。  開設して5ヶ月になるが、参加者があまり増えず、記入も網野君の努力のお陰で何とか形を保っている状況だった。  1月19日、房前君がかなりの方々に招待状を出して下さり、急に懐かしい方々のご参加を得て、今後このSNSも活性化するのではないかと期待している。  このSNSは、クローズされたものなので、無関係の人は入ってこない筈。従って、できれば本名または類推可能なニックネイムでの参加をお願いしたい。次の方々は、どなたか判らないので、ご本人またはご存知の方はお知らせ頂けると幸い。  しのび。、はな、ホットスプリング、BUN、noriko、犬山イヌオ、はなみずき、みんと、みの、mm、タロウ、よねちゃん、nonchalan、ばーちゃん。 2011/01/23 02:07:22

2011/01/28

ビル経営管理士試験委員会 id=310 1月26日(水)14時から大手町ビル9階三菱地所会議室で開催の、日本ビルヂング経営センター「ビル経営管理士」登録証明事業試験委員会に、副委員長として出席。12月12日に実施した試験の合否基準を検討し、合格者を決定。 2011/01/28 00:24:30

元理科大学長故西川哲治先生お別れの会 id=311 1月27日(木)9時半頃、塚田幹夫氏より執筆中の原稿の図面の件で電話あり。そこで、元東京理科大学学長故西川哲治氏お別れの会が今日あることを知る。  西川先生は、1990年8月理科大学長になられ、私が1991年4月から工学部第2部学部長を務めていた間学部長会議などでお世話になった方。  東京理科大学と高エネルギー加速器研究機構の共催で、14時から青山葬儀所にて執り行われた「お別れの会」に出席。  お若い頃からクリスチャンだった先生だが、今日のお別れ会は無宗教。参列者は400人ほど。  最後の奥様のご挨拶には、印象に残る話が多々あった。1964年からの米国ブルックヘブン国立研究所客員研究員としての2年間が終わる時、先方から期間を延長するよう強い要請があったが、先生は日本に同じような加速器の施設を一刻も早く造るべきだと帰国、文部省など各方面に働きかけて筑波に高エネルギー物理学研究所を設立された話、この施設を利用した方々のノーベル賞受賞を喜ばれた話、理科大学長の話があった時奥様は反対された話など。  帰途、第一工房の佐藤伸利氏に会う。氏は、若いとき西川先生と教会でご一緒されていた由。 2011/01/28 00:27:41

国土交通省総合評価委員会委員長を辞退 id=312 1月27日(木)、国土交通省官庁営繕部計画課野口久課長補佐より、2006年度から5年間委員長を務めた総合評価委員会の2011年度の委員長について電話。若い人に交代して欲しいと、辞退を申し出で了承得る。 2011/01/28 00:31:25

2010年12月

2010/12/03

JFMA賞審査で南アルプス市健康福祉センターへ id=215 11月29日(月)8時新宿発のスーパーあずさで甲府駅集合、タクシーでJFMA賞現地審査の南アルプス市健康福祉センターへ。途中、雪を被った富士山、甲斐駒、白根三山が美しかった。  「五感で感じるユニバーサルデザイン」をテーマにした設計は、それなりに成功していると感じたが、FMの立場での評価は難しい。 2010/12/03 01:28:51

JFMA賞審査で三鷹市役所へ id=216 11月29日(月)13時29分甲府発の「かいじ112号」で三鷹、タクシーで三鷹市役所へ。「協働のまちづくりとFM――都市の再生とリノベーション」をテーマにした三鷹市の取組みにたいするJFMA賞現地審査。  応対は、内田治都市再生推進本部事務局次長、河野康之企画部長、都市整備部の小俣崇技監、若林俊樹公共施設課長。最初に清原慶子三鷹市長から熱っぽい挨拶があった後、内田次長からの説明と質疑応答。  2003年4月就任の清原市長のトップダウンと、施設担当職員のボトムアップの両方から、2007年度施政方針に「都市の再生・リノベーション、ファシリティ・マネジメント確立に向けた取組み」、2008年3月「三鷹市におけるファシリティ・マネジメントの推進に関する基本的方向」を策定するなど、市を挙げてFMに取り組んでいる様子は判った。 2010/12/03 01:32:37

2010/12/05

JFMA賞審査で勝田の日立ハイテクへ id=221 12月2日(木)、上野8時発のスーパーひたち号で勝田へ。日立ハイテクノロジーズで、「センサ技術を活用した組織活動可視化システム『ビジネス顕微鏡』」のJFMA賞現地審査。  その後、同じ日立ハイテク那珂事業所内にある、2005年度日経ニューオフィス賞受賞オフィスを見学。 2010/12/05 02:25:00

東海村の茨城電気通信研究所跡を見る id=222

12月2日12時少し前に日立ハイテク審査が終わり、思い立ってタクシーで50年前私が始めてチーフとして設計した茨城電気通信研究所の跡地を見に東海村へ。  原子力科学研究所正門前を左に曲がってすぐ左、跡地はすぐに判ったが、「いばらき電子ビーム研究センター」との表札がかかっており、私が昔設計した建物などは見られず、道路沿いの低い石積みの塀だけが50年前のまま残っていた。種生の松が大きくなっているのに驚く 。 2010/12/05 02:27:30

2010/12/08

JFMA賞専門委員会 id=226 12月3日(金)18時半からJFMAで開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。優秀FM賞、技術賞、功績賞について、9日の審査委員会に提出する専門委員会の評価を決める。会議が終わったのは、22時半過ぎ。 2010/12/08 00:29:59

理科大沖塩研OBOG幹事忘年会飯田橋北海道で id=227 12月6日(月)18時から飯田橋ラムラ20階の「北海道」で開催の、理科大沖塩研OBOG幹事忘年会に出席。塚田、石橋、仲、上條、嶋村、原、北山、増山、郷田、元永の諸君と私の11人。塚田さんは途中で帰宅、仲さんは理科大の授業で2時間ほど中座したが、23時まで何と5時間同じ場所で駄弁る。皆それぞれ活躍している様子で、楽しい一夕を過ごした。 2010/12/08 00:32:52

日本オフィス学会理事会 id=229 12月7日(火)15時から水天宮JOIFAで開催の、日本オフィス学会理事会に会長として出席。日建設計山梨知彦氏初出席。ゲンスラー山本那智子さんも久し振りに出席。  山梨新理事の紹介、第12回大会準備状況、第20回セミナー「組織のイノベーションを生む『柔らかい』働き方」紹介、新研究部会の提案、学会誌委員会報告、日本学術会議協力学術研究団体指定要件などが議題。 2010/12/08 00:37:43

2010/12/09

日建設計でのOE企画会議 id=232 12月8日(水)13時から日建設計会議室で、季刊誌OE(Office Environment)の企画会議。日建山梨、マイクロソフト長坂、竹中徳本、編集の小関、田中の諸氏。 この会議では、毎回刺激的な話が飛び交う。3月の次回は、マイクロソフトの新オフィスで。 2010/12/09 01:44:50

2010/12/12

JFMA賞審査委員会で受賞推薦案件決定 id=237 12月9日(木)10時から浜町のJFMAで開催の、JFMA賞審査委員会に委員長として出席、座長を務める。  成田一郎専門委員長が、専門委員会からの推薦案件を50分弱で要領よく説明。現地審査に参加された委員からの意見、質疑応答を経て、優秀FM賞、最優秀賞、技術賞、功績賞、奨励賞についての審査委員会の推薦案件を決定した。北川正恭、米倉誠一郎、高辻育史、村田博文らの審査委員から活発で鋭い意見が交錯し、気持ちの良い委員会だった。 2010/12/12 01:14:02

JFMA企画・運営委員会と懇親会 id=238 12月9日(木)15時半からJFMAで開催の、企画・運営委員会に出席。JFMAステージアッププラン(案)などが主議題。  委員会終了後、18時から人形町駅近くの「香港美食園」で懇親会。 2010/12/12 01:16:29

理科大工学部建築学科懇親会 id=240 12月11日(土)18時から理科大九段校舎5階で開催の、非常勤講師の先生方を招いての建築学科懇親会に45分ほど遅れて出席。  先ず、辻本誠、西田幸夫の両氏から、理科大近代科学資料館で火災関係の展示をする件について相談を受ける。その後、直井英雄、井口洋祐、山名善之、真鍋恒博の先生方、吉田克之、峰政克義、杉山義孝の諸氏らと懇談。沖塩研・総合設計関係出席者は、郷田、上條の二人。非常勤講師リストにあって欠席者は、濱野、富重、谷川、石川淳、石橋の諸君。 2010/12/12 01:24:05

2010/12/15

JFMA資格制度委員会と懇親会 id=243 12月13日(月)16時からJFMAで開催の、資格制度委員会に委員長として出席。試験委員会委員と更新講習委員会委員の選任、来年度の資格試験と更新講習の実施計画、更新講習終了者の確定などが主な議題。  18時からは、近くの浜町亭で懇親会。 2010/12/15 01:38:35

某プロジェクトの請負者選定ヒアリング id=244 12月14日(火)9時半から、総合評価方式による某プロジェクトの技術審査委員会に出席、続いて10時から15時40分頃まで、応募5社の管理技術者たちへのヒアリング。その後17時過ぎまで、今後の対応について話合い。 2010/12/15 01:47:54

2010/12/17

国立国際医療研究センターで頭部MRI検査 id=248 12月15日(水)11時から、国立国際医療研究センターで頭部MRI検査。脳動脈瘤のため年2回行っている検査。 2010/12/17 22:47:32

三重県東京事務所のフリーアドレスは続いている id=249 12月16日(木)15時半頃、三重県事務所を訪問。建築学会ワークプレイス小委員会で編集中の本に掲載予定の2000年の三重県東京事務所改革前後図掲載許可と、その後のオフィスを見るため。  主幹の藤本典夫氏が応対、オフィスは大分変わっていたが、フリーアドレスは続いているのは嬉しかった。 2010/12/17 22:52:41

西川哲治元東京理科大学長15日84才で死去の報 id=250 私が東京理科大学で工学部第2部学部長を務めた1991年頃の学長西川哲治氏が、12月15日老衰で死去されたことを朝日新聞12月17日(金)朝刊で知る。 2010/12/17 22:57:48

オフィス学会研究セミナー「柔らかい働き方」 id=251 12月17日(金)13時半からグランパークホール401で開催の、日本オフィス学会第20回研究セミナー「組織のイノベーションを生む“柔らかい”働き方」に出席。  第1部は、ワークスタイル研究部会部会長妹尾大東工大准教授と小沢一郎専修大准教授による講演。第2部は、スカイプで米国から参加の須田冨士子、マイクロソフトの長坂将光、日本IBMのマッキン美都の3氏による事例紹介。第3部は、1部と2部の講師に加えアマナの菊池英雄、シグマクシスの太田明子、NECネッツアイの武藤進、山武の石塚智司の7名によるパネルディスカッション。  第3部の途中16時40分頃抜け出す。 2010/12/17 23:00:45

沖塩研卒業のNTTファシリティーズ菊池伸夫君と id=252 12月17日(金)オフィス学会セミナーの14時45分頃からの休憩時間に、開催場所と同じビルにいるNTTファシリティーズの菊池伸夫君が会場に来てくれ、1階喫茶室で10分ほどお茶。  山本晴彦君は、本日お休みとのこと。 2010/12/17 23:06:46

2010/12/22

国立国際医療研究センターでMRIの結果変化なし id=259 12月20日(月)11時予約の国立国際医療研究センター原医師の診察は、珍しく待たされ12時。MRIの結果特に変化なし。 2010/12/22 23:05:42

JFMA賞候補を坂本会長了承 id=260 12月21日(火)13時からJFMA会長室において、審査委員会で決めたJFMA賞候補を坂本会長に報告、了承を得る。 2010/12/22 23:10:49

日本オフィス学会学会誌委員会 id=261 12月21日(火)15時から水天宮のオフィス学会で開催の、学会誌委員会にオブザーバーとして出席。 2010/12/22 23:12:42

韓国人留学生金柄鎮君と小峯氏兄妹との忘年会 id=262 本年9月東京大学藤井研究室の研究生となり、博士課程を目指す韓国人金柄鎮氏夫妻を囲んで忘年会を、と紹介者で法政大学日本語講師の捧倶子さんのお誘いを受け、12月21日(火)17時半銀座三越入口で待合わせ。金夫人は体調を崩し欠席。金氏、捧さん、彼女の兄小峯茂樹氏と私の4人で銀座鳥ぎんで会食。 2010/12/22 23:15:37

建築行政情報センター評議員会 id=263 12月22日(水)15時から神楽坂の㈶建築行政情報センターで開催の、臨時評議員会に出席。 2010/12/22 23:18:03

2010/12/30

雑誌「財界」JFMA賞インタビュー id=270 12月24日(金)14時半よりJFMA会議室で、雑誌「財界」の村田博文社長によるJFMA賞のインタビュー。 2010/12/30 00:15:38

2010年11月

2010/11/03

倉敷へ id=147 10月31日(日)14時3分東京発の「ひかり」で、岡山経由倉敷へ。浦辺鎮太郎設計の倉敷国際ホテルに泊まる。  11月1日午後倉敷市役所のJFMA賞現地審査を行なうことになったので、今年JFMA賞最優秀賞受賞の倉敷中央病院を午前中に見学することとした。  11月1日(月)8時過ぎにホテルを出て、大原美術館分館(写真1)の庭を通り抜け、倉敷川沿いからアイビースクエア(写真2)、丹下健三設計の旧市庁舎(現市立美術館)(写真3)など散策。 2010/11/03            23:59:36

2010/11/04

倉敷中央病院見学 id=148 11月1日(月)ホテルでチェックアウトしてから徒歩で倉敷中央病院へ。10時に病院着、施設グループ担当部長の藤本義秋氏の案内で2時間にわたり施設見学。相田俊夫常務理事も前半はお付き合い下さる。  新3棟が10月にオープンしたばかり。延床面積140,000㎡、病床数1,151、1床当り120㎡、手術室23室、医師420人、看護師1,250人、職員総数3,000人、来院者数300万人/年という大病院。  玄関車寄せに介護の資格を持つ3人の女性がおり、来院者を丁寧に案内。ホテルの玄関のよう。  玄関両側に芹沢銈介のステンドグラス、玄関ホールを抜けたところの温室、中庭、屋上庭園など、「家庭的な温もりも中で最高の医療を」との創設者大原孫三郎の意思が継承されている感じ。  医師・看護師の数や床面積を増やし、医療の質とホスピタリティのレベルを高めながら黒字経営を続けられるのは、元クラレ工場長も務められた相田常務らの力と創設者の理念を大切にする職員たちの力によるところが大きいと感じた。  この病院が、今年のJFMA賞最優秀賞を受賞したことは妥当といえよう。 2010/11/04 00:36:47

2010/11/04

8階建の倉敷駅ビルを解体し2階建とする話に驚く id=149 1983年竣工で8階建の倉敷駅ビルは、2010年末までにホテル倉敷(6~8階)と専門店街ルブラン(1~4階)が営業終了、その後ビルを解体して2階建駅舎とする由。倉敷は、観光客の減少はそれほどでもないが、宿泊客が大幅に減っているとのこと。 2010/11/04 01:38:26

2010/11/06

JFMA賞現地審査で国立国会図書館関西館 id=155 11月2日(火)8時に京都のホテルを出、近鉄の新祝園からバスで国立国会図書館関西館に予定通り9時半着。  中井万知子館長、山口和之次長に挨拶した後、総務課稲見弘課長補佐からの全般的説明、竹中工務店大阪本店FM部河本裕介課長代理からのFMSを主とした説明を受け、館内を見学。  前から見学したいと考えていた関西館を、思いがけず裏方まで見学する機会を持てた。神経の行き届いた爽やかな建築で、設計者の陶器二三雄氏の頑張りが良く分かった。                  2010/11/06 23:53:29

2010/11/09

建築積算協会環境セミナー id=158 11月8日(月)13時から浜離宮建設プラザ大会議室で開催の、㈳日本建築積算協会の環境セミナー「環境とコストを考える」にご招待を受け出席。  野城智也東京大学教授の「建築における環境とコストを考える」では、環境に配慮した建物は投資家/所有者の利益になると、環境問題を「コスト」ではなく「投資機会」または「ビジネスチャンス」と捉える動きが海外で拡大し、「責任不動産投資原則Responsible Property Investing」に700社を超える機関投資家や資産運用会社が署名、「環境不動産」という言葉が定着してきている由。国土交通省の「環境不動産ポータルサイト」参照。  酒井寛二中央大学教授の「プロジェクト環境会計手法の開発と応用」では、建設プロジェクトの事業者は環境配慮にどれだけ費用を投下すべきかの意思決定に迷うので、費用対効果を示す3手法が紹介された。  NTTファシリティーズ総合研究所の森谷靖彦氏の「グリーンビルの評価手法とBIMへの展開」では、イースター島文明の崩壊を例に環境問題の重要性を示した後、世界の環境性能評価システムの紹介、BIMによる評価、更に低迷する建設市場で環境ビジネスの重要性を示した。  参加者は150人以上と思われ、内容も良いセミナーで勉強になった。  塚田先生ジュニア、理科大2部総合設計卒の関口敦君など、多くの人たちから声を掛けられた。  17時過ぎからは、汐留のLIONでの小宴に招かれ、酒井、森谷の両講師、電機大の八木沢壮一、早大の五十嵐健、サトウFMの佐藤隆良、日建設計の加納恒也、鹿島の太田鋼治、前橋工大の河西良幸、理大松崎研卒でNTTFの武藤剛の諸氏ら多くの方々と懇談できた。 2010/11/09 01:21:36

2010/11/11

JFMA賞現地審査で内田洋行新川本社ビルへ id=162 11月9日(火)9時50分現地集合で、内田洋行新川本社ビルのJFMA賞審査に参加。対応は、平山信彦執行役員知的生産性研究所長ほか。最後に、向井眞一会長も顔を出された。  JFMA賞応募のテーマは、「内田洋行新川本社ビル『ユビキタス協創広場CANVAS』における戦略的FMの実践」。築39年のビルを、先端的ワークプレイスにしたもの。①多様なコミュニケーションをサポートする場、②協創(ナレッジ・コラボレーション)を促進する場、③実践・実証を通じた知識創造を支援する場。  意欲的な取組みには、好感が持てた。  見学の途中で、理科大から慶応SFCの大学院に進学し、内田洋行に就職した三上喜隆君が顔を出してくれた。 2010/11/11 00:13:02

JFMA賞現地審査東京海上日動システムズ㈱へ id=163 11月10日(水)9時50分現地集合で、多摩センターの東京海上日動システムズ㈱のJFMA賞現地審査に参加。  対応は、土居達也総務部長、加藤基広経営企画部部長、山下郁美総務部課長代理。  2004年グループ内3社が合併してできた会社。「社員のやりがいを最大限に発揮でき、社会に貢献できる会社づくり」を企業理念・経営戦略に掲げている。  ビルは、1993年完成で16階建本館(2階受付・食堂、4階会議室、5~16階オフィス)、中央棟(データセンター)、別館の3棟。そこに、社員1,400人(内半数強が開発部隊)、IBMや富士通などからの出向を含め2,300人が働く。  JFMA賞応募のテーマは、「FMを通じて『社員のやりがい発揮と社会貢献』を実現」。「やりがい」向上、ボトムアップ、競争より仲良く、がテーマ。具体的には、①「ノマド型社員」のワークスタイルを実現するワークプレイス:フリーレイアウトオフィス、②日常の職場では解決しにくい問題を論議する場:フューチャーセンター、③障害者がやりがいを持って働ける場:スマイルカフェ(社内喫茶店)&スマイルオフィスサービス(名刺作成、椅子清掃等)。①は、業務の中から世界一を狙えそうなテーマを社員が自主的に見つけ、その目標に挑戦できる制度ができたことにも絡んでいる。オリジナリティあるオフィス、わくわく働けるオフィスを狙っている。②は、欧州発のフューチャーセンターの、富士ゼロックスに次ぐわが国第2号といえるもの。③により、障害者雇用率は法定1.8%を大きく上回る3.5%。  頑張っている様子が良く判り、嬉しい気持で説明を聞いた。 2010/11/11 00:18:36

2010/11/12

JFMA賞現地審査で佐世保の親和銀行へ id=169

11月11日(木)7時25分羽田発のJALで福岡には予定通り9時半前に着くも、福岡空港からの高速バスは40分遅れで佐世保着12時40分。昼飯抜きで、親和銀行本店でのJFMA賞現地審査へ。  JFMA賞応募のテーマは、「親和銀行における保有施設のFM・CMサイクルの実践について」。  1939年創業の親和銀行は、佐世保市を中心に長崎県の地方銀行として事業展開。2007年福岡銀行、熊本ファミリー銀行と統合し、ふくおかフィナンシャルグループ(FFG)に。統合以前、親和銀行はFM的には何もしていなかった。統合後、福岡銀行が行っていた手法を取り入れ、劣化診断、予防保全に予算を組み、NTTファシリティーズにアウトソースして効果を挙げている由。現在95ある店舗を、近く80~85に減らすが、3年間で1巡の予定。銀行側のFM専任は一人。  質疑応答の後、白井晟一の代表作である本店(第1期1967年・写真左、第2期1969年)と懐霄館(1975年・写真右)を見学。白井の石と木の扱いの凄さに感嘆、大変な目の保養となった。残念ながら、室内の撮影不可。  これらが建築された時期、佐世保は景気が良く親和銀行の収益は地方銀行の上位にあったため、当時の頭取は国宝クラスの美術品も多く蒐集しており、懐霄館はそれらの収蔵に充てられている。  その後、ブランディング改修実施の浜田町支店と劣化改修実施の大野支店を視察し、JRで博多へ。2010/11/12 23:51:21

2010/11/13

JFMA賞現地審査で福岡西南学院へ id=170 11月12日(金)7時45分に西鉄イン博多を出て、地下鉄西新から徒歩で西南学院小学校へ。  JFMA賞応募のテーマは、「学びの場の持続的な発展を目指すスクールFMの実践」。  1916年、米国バプテスト派宣教師による男子中学校創立が西南学院の始まり。幼稚園、中高大学から大学院まであるのに小学校だけなかった。2010年開校の小学校の設計は、鹿島建設。2003年移転竣工の中・高校の設計は、日建設計と鹿島建設。ヴォーリズ設計で1921年竣工の本館は、大学博物館に。大学と大学院の校舎は順番に建替中。  8時半から、小学校のチャペルでの礼拝を見学。説明と質疑応答の後、小学校内見学。神経の行き届いた好感の持てる建築。設計担当の丸山琢氏は、理科大卒の振木君と鹿島建設同期入社の由。  13時福岡発のJALで帰京。羽田着は30分程遅れた。13日から横浜で開催のAPEC首脳会議のため、福岡空港でのセキュリティチェックは長蛇の列だった。 2010/11/13 02:01:56

理科大OBOG会で網野君のプレゼン id=175 11月13日(土)18時から神楽坂森戸記念館で開催の、OBOG会に出席。山梨県塩山に事務所を構え古民家再生などで活躍している、沖塩研究室1982年卒網野隆明君によるプレゼン。  出席者たちに大きい刺激を与えてくれた素晴らしいプレゼンだったが、出席者が24人ほどで少し寂しく残念。  21時終了後、近くの居酒屋で23時過ぎまで懇親会。少し飲みすぎた。 2010/11/16 01:20:39

2010/11/16

ビル経営管理士試験委員会 id=176 11月15日(月)14時から大手町ビル9階の三菱地所会議室で開催の、ビル経営管理士登録証明事業試験委員会に副委員長として出席。試験問題案の検討を行なう。 2010/11/16 01:26:49

BCS賞受賞懇親パーティで乾杯の発声 id=177 11月15日(月)10時半から帝国ホテル孔雀の間で開催の、㈳建築業協会のBCS賞表彰式と懇親パーティに出席。  パーティでの乾杯の発声を頼まれていたためか、表彰式は受付嬢の案内で中央の指定席に。  懇親パーティでの山内隆司会長(大成建設社長)挨拶に続いての乾杯発声では、3月の建築学会FMシンポジウムでの「希望学」とweak ties の話に触れ、今日のパーティでの出会いが「希望」のきっかけなることも祈って杯を挙げたい、とした。  槇文彦、日建設計の桜井潔副社長とOBの三栖邦博・小倉善明、元坂倉事務所の阪田誠造、細田雅春佐藤総合社長、建築情報システム研究所馬場しょう三、井上勝徳国土交通省住宅局建築指導課長・橋本公博住宅生産課長、立石真日本建築センター理事長、清水令一郎と奥田修一の元建設省官庁営繕部長、清水建設の割田正雄常務執行役員とOB山本俊介・藤江澄夫・笠原健二郎、竹中工務店服部紀和元副社長と北泰幸常務、元大林組の舟橋巌、鹿島建設建築設計本部篠田秀樹と丸山琢、大成建設野呂一幸常務、共立建設の今井和人工事統括部長と飯沼利雄課長、五関直一りんかい日産建設常務執行役員(理科大卒)、深尾精一首都大学東京教授、藤上輝之芝浦工大名誉教授、辻本誠理科大教授、大澤正次日刊建設通信新聞社社長、建築写真家勝田尚哉の諸氏らと懇談できた。 2010/11/16 01:31:55

2010/11/17

JFMA賞現地審査で北区立中央図書館へ id=180 11月16日(火)9時50分現地集合、北区立中央図書館でのJFMA賞現地審査。  元陸軍造兵廠の赤レンガ倉庫を活かし、佐藤総合の設計で2008年6月オープン。様々な配慮が見られる気持ちの良い図書館。  戦争末期中学生だった私たちは、勉強せずに毎日兵器作りに動員されていた場所の一角で、懐かしい思い。 2010/11/17 01:40:33

神楽坂路地シンポジウム「谷中×神楽坂」 id=181 11月16日(火)18時から神楽坂の理科大森戸記念館で開催の、第10回神楽坂連続路地シンポジウム「谷中×神楽坂」に参加。  東京藝大前野研出身で谷中学校運営人の手嶋尚人氏の講演と、野池幸三谷中地区町会連合会会長+手嶋氏+西村幸夫東大教授の鼎談。  手嶋氏の話: 地域雑誌「谷中・根岸・千駄木(谷根千)」発刊が1984年、1890年建築の酒屋・旧吉田屋本店を移築復元し台東区下町風俗資料館敷設展示場としたのが1987年。地域有志と東京藝大前野研究室との共同研究「上野桜木・谷中・根津・千駄木の親しまれる環境調査」を経て、谷中芸工展の始まりが1993年、「谷中・上野桜木地区まちづくり憲章」制定と谷中地区まちづくり協議会設立が2000年。  野池氏は、谷中三崎坂のお寿司屋さんで現在84才。近くに東京藝大があったことが、谷中には大きいプラスだった、と野池氏。  19時半からの懇親交流会は失礼した。 2010/11/17 01:44:04

勝田尚哉氏よりBCS賞乾杯発声の写真 id=183

2010/11/18

11月15日のBCS賞表彰式パーティの場で会った勝田尚哉氏から、私が乾杯の発声をしている写真3枚を17日メール添付で贈られる。氏は、理科大理工学部建築学科卒業竹中工務店勤務の後、建築写真家として独立した方。神楽坂校舎2,7,9号館改修工事竣工写真も撮影した由。また、理科大入学希望者向けパンフレットに、「ちょっと変わったOB」として登場しているとのこと。  氏の父君は、電電公社建築局で私と一緒に仕事をした仲間。現在は二元会所属洋画家。2010/11/18 00:51:44

2010/11/21

故・鈴木成文先生追悼の集い id=188 11月20日(土)17時40分よりアルカディア市ヶ谷で開催の、「故・鈴木成文先生追悼の集い」に出席。  服部岑生氏の総合司会で、第1部は司会長澤悟、パネラー内田雄造、布野修司、小林秀樹、西出和彦の諸氏による「故鈴木成文先生追悼シンポジウム」約1時間、19時前から第2部の追悼の集い。  参加者約90名。理科大関係の参加は、宇野求教授、初見学理工学部教授、神戸芸工大大学院で鈴木先生にお世話になった池田佳人君。  船越徹、岡田新一、柳澤忠、吉田あこ、吉田邦彦、高橋鷹志、服部岑生、内田雄造、杉山茂一、初見学、深尾精一、安藤正雄、布野修司、小林秀樹、宇野求、土居義岳、山田哲弥、古賀紀江、池田佳人の諸氏らと懇談できた。 2010/11/21 01:23:44

2010/11/23

佐倉市へJFMA賞現地審査 id=194 11月22日(月)9時40分京成佐倉駅集合で、10時から佐倉市のJFMA賞現地審査。参加者は、石福、柳澤、宮嵜と私の審査委員4名と専門委員4名、事務局荻原。  蕨和雄市長の挨拶の後、資産管理経営室の増澤文雄室長と池澤龍三副主幹による明快な説明。  黒川紀章設計の本庁舎は、それなりの姿を保っていた。  13時過ぎ渋谷に着く必要があったため、11時に審査会を途中で抜け出す。2010/11/23 01:01:04

2010/11/25

東寺五重塔初層内部見学 id=199

11月24日(水)、京都西本願寺での親戚の会出席のため、前夜23時22分京都入りし、新都ホテルに泊まる。9時頃ホテルを出て、徒歩で東寺へ。25日まで秋季特別公開で五重塔初層内部が公開されており、初めて内部見学。2010/11/25 13:59:23

京都西本願寺飛雲閣など見学 id=200

11月24日(水)11時に新都ホテルを出、徒歩で11時半から西本願寺聞法会館で開催の親戚の会へ。  13時過ぎ、龍虎殿に移動、飛雲閣から書院の見学。京都発16時56分のひかりで帰京。2010/11/25 14:10:57

2010/11/27

都市デザインシステム元社員と東京電力がシェアプレイスで協力 id=204

11月26日(金)15時20分シェアプレイス東神奈川現地集合で、「シェア型賃貸住宅『シェアプレイス』」のJFMA賞現地審査。対応は、東京電力グループ㈱リビタの森尻謙一常務取締役と木内玲奈さん。  「利用されなくなった独身寮などの既存建物をシェア型賃貸住宅へと改修」がテーマ。既に9棟496戸の実績があるとのこと。今回の見学建物は、1987年竣工でオーナーが三菱化学と単身寮として20年契約していたが、2007年契約解除で空家となっていたものを、シェア型57戸の賃貸住宅に改修、2009年12月オープンしたもの。  元独身寮とのことで侘しい感じの建物と予想していたら、優れたデザインの3階建の建築。ル・コルビュジェの最後に日本人弟子進来廉氏の設計らしい。  単身寮時代の厨房を同時に複数が調理できるよう改修、大浴場をシャワー室とランドリーに改修、図書室や映写室設置など、共用部に付加価値をつけ、ワンルームマンションより少し高めの賃料でも満室を続けている。  ㈱リビタは、東京電力グループの会社だが、職員には2008年倒産した都市デザインシステムからの転職者も多く、コーポラティブでのノウハウが生かされている。有意義で面白い試みで成功していると感じた。2010/11/27 13:45:48

2010年10月

2010/10/01

神楽坂関連の講演会とシンポジウム id=85 1.黒川鍾信(作家・元明治大学教授)「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」  神楽坂のシンボル、旅館「和可菜」。昭和29年に開業して「ホン書き旅館」として名を馳せ、作家では野坂昭如、結城昌治、色川武大、伊集院静、映画人では内田吐夢、深作欣二、山田洋次、奥田瑛二、脚本家では市川森一、倉本聰、内舘牧子、竹山洋、加藤正人等々がここで仕事。  和田敏子女将の甥、黒川鍾信が、その執筆現場の秘話や現在の状況などをいろいろな角度から語る。  黒川氏は平成14年、『神楽坂ホン書き旅館』(NHK出版、文庫版は新潮社)を世に問い、第51回日本エッセイストクラブ賞を受賞。 日時 10月1日(金)夜19時~21時 場所 神楽坂通り商店会事務所・東新神楽坂エミネンス6階/神楽坂3-2 参加費(支援金) 一般1000円、学生500円。 2.赤城神社竣工記念シンポジウム 場所: 赤城神社 日時: 10月23日(土)18時半~ 内容: 隈研吾☓稲本正「新しい神社の杜を考える-神と人と建築」 参加費: 一般1000円、学生500円2010/10/01 00:29:28

工学院大学学生二人樹林館の蔵調査に id=86 私が今住んでいる樹林館を建てる際、クス3本・大イチョウ・サンゴ樹2本・イイ桐など大木の保存と同時に、大正7年建設の鉄筋コンクリート造の蔵を残した。  関東大震災で被害なく、昭和20年の空襲で焼夷弾2発の直撃を受けたが酸素がなくなり燻っただけで無事だった蔵なので、中味はガラクタだけだが壊すに忍びなかった。残したものの、今後どうするかで困っている。  日本にRC造が導入されたのは明治末期なので、大正7年のものはごく初期のRCといって良い。わが国初期のRC研究の材料になるのではと、10数年前から何人ものコンクリート研究者に声を掛けたが、そのままになっていた。  8月、工学院大学の田村雅紀准教授にお話したら早速見に来られた。9月30日(木)14時過ぎから、田村研究室の学生二人が1時間ほど調査に。 2010/10/01 00:41:46

2010/10/02

黒川鐘信氏の「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」 id=89 10月1日(金)19時から神楽坂通り商店会事務所で開催の、黒川鐘信氏の語り「神楽坂ホン書き旅館の半世紀」に参加。黒川氏は、2002年NHK出版より単行本として上梓、2007年には新潮文庫となった「神楽坂ホン書き旅館」の著者。舞台は、神楽坂のシンボルとなっている旅館「和可菜」。黒川氏は、この「和可菜」の女将を57年続け今月10日に88才になる和田敏子さんと、彼女の姉で女優の故木暮実千代の甥。  氏は、映画の助監督を目指して研鑽を積んでいたが、大学卒業頃には映画入場者が急減し路頭に迷い、ハリウッドに近い米国UCLAに留学し、2年前の定年まで明治大学情報コミュニケーション学部教授を務められた方。  日本と米国では、ホン書き、脚本・脚色のあり方が全く違う状況、わが国でホン書きに使われた他の場所の話、「和可菜」は作家や映画人の仕事場で男女問題がなかったから利用客の実名を出して書けたことなど、興味深い話だった。参加者は、粋なまちづくり倶楽部の寺田、山下、坂本の諸氏を含め10人程と少なく、もったいない感じ。  なおこの本の最初の方に、私が神楽坂について語ったことが3ページほど載っており、最初の出版時と文庫本になった際、何人もの方々から連絡を頂いたことを思い出す。  終ってから、鳥忠で22時半過ぎまで懇談。 2010/10/02 02:00:21

2010/10/03

私の巻頭言が載ったBELCA NEWS 9月号来る id=91 10月1日(金)、ロングライフビル推進協会の会報BELCA NEWS 2010年9月号が送られてきた。私の書いた巻頭言「保全・改修工事の設計者選定で求められる発注者の見識」が載っている。  なお本号は、ITやクラウドの活用による保全の推進」特集で、野城智也氏や板谷敏正氏らが執筆。                2010/10/03 01:57:22

2010/10/05

オフィスの本の図版コピーで理科大郷田研究室へ id=95 日本建築学会ワークプレイス小委員会の「コミュニケーションを刺激するワークプレイス(仮題)」の出版企画が、鹿島出版会の会議で承認され10月末が原稿締切り、と恒川主査から8月末メールが入っていた。出版社が決まらず、昨年末から動きが止まっていたもの。  私が担当の第5章「オルタナティブとしてのワークプレイス」をどうするかについて、名古屋大学の恒川主査に電話する。「文章の手入れはするから、図版は埋めて欲しい」と恒川氏。ノキア本社平面図の載っている建築設計資料集成「業務・商業」を持っていないので、そのコピーのため10月4日(月) 17時半頃理科大郷田研究室に。郷田さんはゼミ中だったが、一時休憩にして下さる。  コピーを受取った後、Google Boulderと日建設計山梨氏の話、建築学会空間研究小委員会で郷田さんが企画中のオフィスに関するシンポジウムの話など、30分ほど駄弁る。  ノキア・ハウスは、ビルの1階中央にある大きいアトリウムがカフェテリアになっており、ビル内を動いたり出入りする際そこを必ず通る。そこで様々な出会いが起きる他、そこにいる人たちの顔ぶれや表情から、様々な情報が得られる由。 2010/10/05

第5回JFMA賞の第4回専門委員会 id=96 10月4日(月)18時半から浜町のJFMA会議室で開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。  優秀FM賞11件、技術賞3件、功績賞6件、合計20件の応募物件の予備審査。21時までの予定だったが、終わったのは23時10分。 2010/10/05 23:41:32

2010/10/07

緒方研ニ氏を偲ぶ会 id=99 10月6日(水)12時から学士会館で行なわれた、「緒方研ニ様を偲ぶ会」に出席。この会は、電電公社関係限定で、私以外は電気や通信関係者。  緒方氏は、電電公社で電気通信研究所長、研究開発本部長、総務理事などを歴任され、NECの副社長も務められた方。昨年10月31日、92才で死去。  私が設計したNTT横須賀研究開発センター開所式(1972年)での研究開発本部長挨拶で、氏が建築の話に長い時間を割いて下さったことは忘れられない。このセンターの30周年記念式典の際、私など建築関係者を招待しなかったことについて事務局に苦情を述べられたとの話も聞いた。1997年から仙台通いをした6年間、東北新幹線の社内で東北大学に関わっておられた氏に何度もお会いした。  小口文一、北川泰弘、輿寛次郎、島田博一、高橋澄夫、田中浩太郎、丹野武宣、林智彦、前田光治、水口一、山内正弥、山根信義の諸氏と懇談。緒方夫人にもご挨拶。 2010/10/07 23:07:54

サムスン躍進の陰に吉川良三氏 id=100 10月6日(水)の緒方研二氏を偲ぶ会で、電気通信研究の大御所島田博一氏から次世代携帯電話でNTTドコモが韓国方式を採用することに決まったとの慨嘆の話を伺う。2004年訪韓前に調べたサムスン躍進の話をしたら、隣におられた小野瀬氏から94年~03年サムスン電子の常務を務めて同社の躍進に貢献した吉川良三氏の話を聞く。  ネットで、吉川氏は近年東京大学ものづくり経営研究センター特任命研究員として、刺激的な発言しておられるのを知った。http://www.globis.jp/1393 2010/10/07 23:14:50

2010/10/09

JFMA企画・運営委員会でJFMAの今後意見交換 id=102 10月7日(木)15時半から浜町のJFMAで開催の、企画運営委員会に出席。坂本会長も同席。出版されたばかりの「公共ファシリティマネジメント戦略」を貰う。  委員会の後半は、委員全員が「JFMAの今後に望むこと」の意見を述べた。  大星ビル管理前野氏のPFIなどで管理業務を金額だけでなく会社の能力評価機関が欲しい、日本メックス渕上氏のFMerの資格が実務者にそぐわない、リコージャパン溝口氏の自治体などのbefore afterの見学会セミナーツアをJFMAで、名古屋大学松岡氏のJFMA業績の海外への発信と大学FM教育と資格制度のリンクの必要性、など参考になる意見が多かった。 2010/10/09 00:33:14

2010/10/10

日本オフィス学会学会誌委員会 id=105 10月8日(金)15時から水天宮の日本オフィス学会で開催の、学会誌委員会にオブザーバーとして出席。  2011年3月末刊行予定のVol.3, N0.2の内容が主議題。林昌ニ氏への私のインタービューの可能性打診を頼まれた。 2010/10/10 01:32:46

2010/10/12

金夫妻に皇居東御苑など案内 id=108 10月11日(月・体育の日)14時に東京駅で待ち合わせ、今月から東京大学藤井研究室の研究生となった韓国人留学生金柄鎮夫妻を、小峯茂樹氏と東京案内。  大手門から皇居東御苑に入り、今井兼次設計の桃華楽堂(写真)、天守台など一回り。和田倉噴水公園、丸の内仲通りから明治生命館、三菱1号館美術館を経て第一生命館。  17時過ぎ、東京国際フォーラムの入口で別れる。 2010/10/12 00:03:00

NHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉敬」 id=110 10月12日(火)0時15分からのNHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉敬」再放送を観る。  1972年の沖縄返還で、「有事の核再持込み」を認める密約は「返還の代償」、と佐藤栄作首相を説得した首相密使若泉敬。沖縄県民を米軍の占領から解放するにはこれ以外の道はない最善の策と信じて密約を首相に認めさせたが、その密約が結果として基地の固定化に繋がったことに苦悩。1994年に著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』でその秘密交渉を暴露したが国内の反応が鈍く、沖縄県民への自責の念に押し潰されて自殺した若泉。その彼の悩みを、豊富な取材で描きだしていた。 2010/10/12 01:54:23

2010/10/16

昨夜の工学院大学での内田祥哉氏特別講義 id=115 本年9月工学院大学建築学科特認教授に就任された内田祥哉氏の就任記念講義「保存と活用」が、10月14日(木)夜工学院大学が行なわれた。  私は参加しなかったが、電電公社建築OBの小峯茂樹氏より出席したと15日朝メールあり。  BELCA賞の考え方から受賞物件の紹介もあり、その中で私とNTT横須賀研究開発センターに再三言及されたとのこと。 2010/10/16 00:35:30

竹中工務店吉田克之氏より建築防災原稿依頼 id=116 1週間前、大手町の地下鉄乗換え通路で久し振りに会った竹中工務店の吉田克之氏から、10月15日(金)10時過ぎ電話あり。建築防災への執筆依頼。災害調査体験談がテーマの由。 2010/10/16 00:38:13

2010/10/19

松寿園火災の資料整理 id=121 10月15日、竹中工務店の吉田克之氏より建築防災への原稿依頼の話があった。その際、松寿園火災の資料が少ない、とのことだった。  1987年、東京理科大学火災科学研究所は警視庁からこの火災について鑑定嘱託を受け、沖塩研究室は人間行動から見た火災の時刻推移を受け持った。これは、火災直後に生き残った利用者たち、寮母、消防士から警察が聴取した調書を元に、塚田さんたちと一緒に調べたものだった。  当時のファイルを取り出し、久し振りに見る。同時に、ネットでこの火災に関する情報を調べると、色々と気になる記事を発見。  例えば、論文などに引用されている消防防災博物館「調べる特異火災事例」での「松寿園」の項は、全体には良く整理されているものの、「・・・すべり台が設置されていたが、ベランダと居室とに落差があったため、バルコニーへ出られず使用されなかった」との記述は違う。居室とバルコニーとの段差のため、車椅子で避難しようとした3人は自力では出られず、寮母の手助けを必要としたが、その3人以外に段差が原因でバルコニーへ出られなかった人はいない。すべり台が利用されなかった理由は、段差ではない。  日本グループホーム学会の「火災の動向と法制度」にも、「車椅子のお年寄りたちは、バルコニー出入口のわずかな段差を越えられずに逃げ遅れてしまったのです」とあり、これも間違え。  沖塩研究室で行なった松寿園火災調査の結果は、守秘義務ともからみ何処にも発表していないので、何らかの形での公表の必要性を感じた。  10月16日(土)と17日(日)は、松寿園火災の資料整理に費やした。 2010/10/19 18:00:50

NECネッツエスアイ飯田橋新本社見学 id=122 10月18日(月)15時から、日本建築学会FMWGによるNECネッツエスアイ飯田橋新本社を見学会。参加者は、小鷹、本江、石曽根、榊原、山田、丸山、鈴木と私の8人。  最初に案内された2階のプレゼン室には、平勝文本部長らICTソリューション推進本部のメンバーの外、松岡利昌氏がおられ驚く。氏は、この会社のオフィス造りに関わっておられる由。  2006年10月に社長が山本氏となって以来、翌年2月のプライベートフェアでEmpowered Office宣言、SECIモデルを参考に2008年1月には営業部門にフリーアドレス導入、同年11月技術フロアにもFA導入、品川本社は2009年の日経ニューオフィス推進賞<情報賞>を受賞など、次々にオフィス改革で成果を挙げてきている会社。  受賞した品川は200人程度のオフィスだったが、今回それを含め3,000人が飯田橋に集結。前は2つのビルで8,300坪だったが、今回の統合で5,400坪となり、オフィス面積を30%以上削減。  まだオープンしたばかりで、明日がオフィスのお披露目とのこと。熱心な取り組みに好感が持てた。  見学終了後、17時半頃から近くの牛タン屋で、来年3月のFMシンポの内容と次回の見学先の打合せ。 2010/10/19 18:03:35

2010/10/21

日本ビルヂング経営センター30周年記念パーティ id=125 10月20日(水)17時40分から日本工業倶楽部会館3階で開催の、(財)日本ビルヂング経営センター設立30周年及び日本ビル経営管理士会設立10周年記念パーティに出席。  1991年に始まったビル経営管理士の試験委員を、第1回以来続けていることから招かれたもの。 2010/10/21 01:05:57

2010/10/23

帝国ホテルでの「NTT 先輩方との交流会」 id=128 10月22日(金)11時半から帝国ホテル孔雀の間で開催の、「日本電信電話㈱ 先輩方との交流会」に出席。多くの人たちと懇談できた 2010/10/23 01:17:20

建築学会図書室で松寿園火災文献調べる id=129 10月22日(金)14時前から30分程、芝の日本建築学会図書室で松寿園火災関係文献を調べる。  日本火災学会誌「火災」170号Vol.37, No.5, 1987に、東京消防庁調査課「特別養護老人ホーム『松寿園』火災」(p.1~5)、川越邦雄「東村山『松寿園』の火災によせて」(p.6~20)の2編があった。前者は客観的事実が主で、特に問題を感じる記事はなかった。後者は、米国のチェックリストなどを紹介しながら、スプリンクラー義務付けなど安易な法改正に走ることへの危惧を述べた好論文。 2010/10/23 01:20:25

2010/10/25

豊島区分譲マンション管理セミナーと規約改正案 id=133 10月23日(土)13時半から上池袋コミュニティセンターで開催の、豊島区分譲マンション管理セミナーに出席。豊島区都市整備部に、マンション担当課が今年新設された由。「理事会運営マニュアル」と「管理のレベルを高めるチェックポイント」の二つの講演を聴く。  2004年1月にマンション標準管理規約の改正が行なわれたが、樹林館の管理規約はそれへの対応を怠っていた。夜、次回の総会に向けた規約改正案を作成。 2010/10/25 01:33:27

2010/10/28

建築学会情報システムシンポジウム論文WG id=138 10月27日(水)17時から日本建築学会で開催の、情報システムシンポジウム論文WGに出席。  12月9日10日建築会館で開催の、第33回情報・システム・利用・技術シンポジウムへの応募論文/報告の査読結果を踏まえての採否決定、司会者の選出などを行なった。 2010/10/28 23:42:01

第5回JFMA賞審査委員会第1回 id=139 10月28日(木)10時から浜町の㈳日本ファシリティマネジメント推進協会で開催の、第5回JFMA賞審査委員会第1回に委員長として出席。坂本春生新会長は、ご挨拶の後最後まで傍聴された。  異動による委員交代の澤木英二国土交通省官庁営繕部長と宮嵜清志日経BP建設局長は初参加。北川正恭早大教授、米倉誠一郎一橋大教授の両委員は残念ながらご欠席。  成田一郎専門委員長から、応募物件の概要と専門委員たちの概評報告があり、優秀FM賞11物件と技術賞3物件は全数現地審査対象に決まった。 2010/10/28 23:46:58

2010年09月

2010/09/01

建築行政情報センター評議員会 id=36 9月1日(水)11時から、飯田橋の(財)建築行政情報センターでの臨時理事会と臨時評議員会合同開催に出席、評議員会の議長を務める。一般財団法人への移行に伴う、「最初の評議員の選任方法」が議題。 2010/09/01 22:39:15

2010/09/03

JFMA賞専門委員会 id=38 18時半から浜町の日本ファシリティマネジメント推進協会 (JFMA) で開催の、JFMA賞専門委員会にオブザーバーとして出席。  9月10日締切りの応募状況と声掛け候補が、主議題。  今年度の募集には間に合わないが、9月15日新建築別冊として発売予定の「日本IBM本社ビル1971-2009:建築とFMのライフタイム記録」が話題となった。省エネや省コスト活動から2008年のファシリティコストが1972年の62%に減っているデータ、38年目の性能確認、林昌二氏ら関係者とのインタビューなど、一つのビルの38年の見事な記録。 2010/09/03 00:45:51

2010/09/04

日本オフィス学会広報WGと学会誌委員会 id=39 水天宮の日本オフィス学会で、9月3日(金)11時から開催の広報WGと15時から開催の学会誌委員会に出席。  学会誌委員会では、Vol.2, No.2 の内容が確定、110頁で9月30日発刊。 2010/09/04 00:22:59

塚田幹夫さんに誕生日祝いで昼食ご馳走になる id=40 9月3日12時45分塚田幹夫さんと待合わせ、神楽坂で昼食。塚田さんが早稲田大学尾崎健夫氏と電機大学小林隆行氏と纏め、9月1日発行の「キャンパス再生のすすめー―これだけは知っておきたいキャンパスFM」を頂く。  私の誕生日祝いということで、フレンチの昼食は御馳走になった。 2010/09/04 00:25:51

竹内春男氏出品の能面工房やま能面展 id=43

9月4日(土)15時過ぎ、文京シビックセンター1階で今日から開催の「能面工房やま能面展」へ。かつて共立建設設計担当重役を務められた竹内春男氏が、13年前に夫人を亡くされてから能面作成に打込まれ、近年は毎年出品しておられる展示会。  竹内氏の今年の出品は、白平太、まさかり、鬚べし見の3点。見事な出来。会場で、元共立建設の清水氏から挨拶を受ける。 2010/09/04 23:51:13

2010/09/08

日本オフィス学会理事会 id=47 9月7日(火)15時半から水天宮のJOIFAで開催の、日本オフィス学会理事会に会長として出席。  本学会では、日本学術会議協力学術研究団体の認定学会となるよう前から議論されながら動きが鈍かった。芝浦工大の先生からの要望の手紙が来たことをきっかけに、その基準を具備して申込みを行なう方向で動くことが、本日の理事会で決まった。 2010/09/08 22:44:28

季刊誌OE企画会議とGoogleのオフィス id=48 9月8日(水)13時から、日建設計の会議室を借りての季刊誌OEの企画会議に出席。出席者は、日建設計の山梨知彦、マイクロソフトの長坂将光、竹中の徳本幸男、編集人の小関俊克の諸氏。  9月初めに発刊された秋号は、かなり充実した内容で好評。12月初め刊行予定の冬号の企画打合せ。  山梨氏が、米国のGoogleに招待された4日間の会議とパーティの話は大変刺激的だった。記事にすることは、Googleの了承を得られなさそうだが。無料で1流シェフの料理が3食食べられ、制約が殆どなく、楽しく能力を最大限に発揮できる働き方と環境は、まさに私が理想のオフィスと考えてきたもの。 2010/09/08 22:46:39

2010/09/09

グーグルのコロラドのオフィス(続き) id=50 9月8日(水)、日建設計の山梨氏から聞いたグーグルの米国オフィスは刺激的だった。  山梨氏が4日間の招待を受けた場所は、ColoradoのBoulderと聞いたように思ったので、ネットで調べた。Google Boulderを見ると、山梨氏の言われたように、玄関ホールに卓球台があり、ゲーム機やクライミングウォールがあり、マッサージ椅子もある。山梨氏の話では、執務時間中に卓球をしたりゲームをしている職員が少なくなく、職員の管理はまったくない。無料で1流シェフの料理が3食食べられる。センターオフィスの職員数は100人位、20ヶ所位近くに分散している職員も、食事時には集まってくる。デッキからは、ロッキー山脈の眺めが美しい。  世界中からの招待客は、ホテルに泊まるが朝食もホテルで摂らずにオフィスで。日程表にトレッキングがあり、ロッキー登山でもあるのかと思ったらGoogleのオフィス探索のしゃれ。一方、職員でオフィスを抜け出しロッキー山麓を散策する人たちも多いとのこと。  何故招待されたのか山梨氏から話はなかったが、3D ツールのGoogle SketchUp がGoogle Boulderの仕事の一つであることで、BIMの日本の第一人者としてではないかと考えられる。 2010/09/09 20:57:12

2010/09/18

設計料はコンドル8%、アアルトのメゾン・カレは100% id=66 9月17日(金)12時から白金台の白金亭で開催の、大学同級生8人の会に出席。  建築設計料が話題となり、コンドル展の資料の中に先生が岩崎などに請求した設計料が8%とあり、メゾン・カレの設計でアアルトが受取った設計料はなんと100%、と槇の話。住宅の設計では10% 貰っても何時も赤字だったと神谷。  写真前列左から宍道(元理科大教授)、槇。 2010/09/18 00:39:42

2010/09/21

文学座「トロイアの女たち」 id=71 9月20日14時から文学座アトリエで、「トロイアの女たち」を観る。エウリピデス作のこのギリシャ悲劇の初演は、紀元前415年すなわち今から2425年前。  10年にわたりギリシャの攻撃に篭城して抵抗していたトロイアは、ギリシャ兵が忍んでいる「トロイの木馬」を城内に入れて壊滅した。敗れたトロイアの王妃は、夫の王と総大将だった自慢の息子を失い、娘は敵の将軍の妾に、勇敢だった息子の血をひくからと孫も殺され、息子の嫁も連れ去られ、自分も敵の奴隷に。  世界各地で今も続いている諍い、愛する者を理不尽な暴力で失う悲劇に思いを馳せた。 2010/09/21 00:39:59

2010/09/23

JFMA坂本春生会長と id=74 本年6月JFMAの会長に就任された坂本春生さんから、表敬訪問をしたいとの申し入れがあったが、当方がJFMAに出向くことにした。  9月22日(水)15時からJFMA会長室において、井上常務理事と池田事務局長同席で会長と話し合う。  まず当方から、わが国におけるFMの歴史、JFMA設立の経緯などをご進講。その後会長から、JFMA賞やFM資格などの今後の検討課題について、積極的な発言があった。北海道通産局長や西武百貨店副社長などを務められた方だけに、前向きの話で気持良かった。 2010/09/23 01:54:27

2010/09/25

佐倉の川村記念美術館へ id=77 9月25日(土)、朝曇っていた天気が午後気持ち良い快晴となったので、急に思い立ってSNS沖塩研究室で網野君から紹介のあった川村記念美術館に向かう。  13時40分頃家を出て、日暮里での京成の特急、佐倉での美術館行無料バスの連絡が良く、1時間40分ほどで着く。  青空の下、美しい緑に囲まれた海老原一郎氏設計(2008年の増改築は当初海老原氏の下で担当した根本浩氏)の美術館の建築も、ひと際目を楽しませてくれる。  マーク・ロスコのロスコルームや、企画展バーネット・ニューマン展などを楽しむ。  レストランでお茶を飲んだ後、自然散策路を歩いて帰宅の途に。  網野君のおかげで、有意義な半日を過ごすことができた。             2010/09/25 23:06:22

2010年08月

2010/08/02

小野邸で隅田川花火楽しむ id=3 理科大卒業生の小野(旧姓:松永)典子さんから案内を頂き、隅田川花火を観るため、18時過ぎ向島の小野さんのビルに伺う。今回の参加者は、昨年より100人多い220人とのこと。エレベータで4階の和室に案内されるが、各階にすでに大勢の客の姿が見えた。3階は民主党の代議士と報道関係者の由。  理科大建築1期武井研出身の糸井孝雄氏と同室。そこでご馳走になった後、19時5分から屋上で花火見物。小野ご夫妻、内田祥哉ご夫妻、日刊建設通信新聞社の大澤正次社長、西山英勝会長らと懇談しながら。内田先生から紹介された国際技能振興財団の城多秀年氏は、元ブリヂストンで鵜澤昌和先生を良くご存知でピアニスト故園田高弘の親戚の由。  間近に観る壮麗な花火に堪能し、20時半終了後間もなく小野邸を辞す。押上までの道も、地下鉄半蔵門線も、花火見物客で混雑。 2010/08/02 02:16:13

2010/08/04

日刊建設通信新聞社から「復刻建築夜話」寄贈さる id=4 7月31日隅田川花火を観る会で会った日刊建設通信新聞社大澤正次社長から、8月3日(火)「復刻建築夜話」が送られてきた。この本は、本年3月同社から寄贈を受けた槙文彦が「読み始めると中々面白い。・・クラス会の人たちで読みまわしたら・・」と回覧中のもの。  その話を大澤社長にしたら、「誠にもって発行者冥利につきるお話」と喜ばれ、私も寄贈を受けた次第。 2010/08/04 17:18:35

2010/08/15

南の島で戦死したテナー歌手の歌が島で覚えられていた id=5 数年前から認知症となられた私の大学と職場の先輩を、私は7月小淵沢のご自宅に見舞いました。ご夫妻とも、クラシック音楽通で、昔はN響定期会員で日比谷公会堂に通われていたことを知っていました。お宅に伺った際に、戦前戦後の世界的ピアニストレオ・シロタ一族の悲劇を画いた映画「シロタ家の20世紀」、この映画が1937年の音楽コンクールでピアノ部門1位の藤田晴子さんの遺産で作られたこと、終戦直後私が高校時代の学園祭で彼女が演奏したときの話なども紹介しました。 その後、彼を介護しておられる奥様から、丁重なお礼状を頂きました。その中に、「藤田晴子さんのコンクールの話から思い出しました」と次のような話が綴られていました。 「私の従姉が当時大連から東京音楽学校に来ておりました。そこで親しくなった彼が、例のコンクールに出、1位なしの3位(テナー)に入りましたが、その直後に出征。呉から出港、フィリピン沖で戦死とのことでした。5年ほど前、生き残られた方から『ようやく住所を探しだしました』と従姉に連絡がありました。その方は、遺族の方々と度々墓参に南の島に行っていらしたが、『高齢になって今回を最後にするので是非』と従姉を誘って下さいました。従姉が娘と同行しましたところ、島の老人が『歌の上手な兵隊さんが皆と一緒に歌ってくれた』と、日本語で『かやの木山』などを覚えていて歌ってくれたとのこと。」「出征前、彼が従姉と銀座を歩いていて、気まぐれに店でレコードに吹き込んだ1枚が彼の弟の家に残っていて、先日CDに直したものを私にも1枚呉れました。その中に『かやの木山』も入っていました。南の島から帰国した従姉が、不思議な話と申し、涙ながらに話してくれました」。 この手紙のこの話を、私だけで止めおくのは勿体ない感じがし、65回目の終戦の日を迎えた今日、紹介しました。 2010/08/15 02:04:50

戦死したテナー歌手(その2) id=6 戦死したテナー歌手の話を手紙に書いて下さった先輩夫人に、この話を他の人たちに伝える了解をと、8月15日昼過ぎ電話する。  戦死したテナー歌手は中野一郎氏、従姉さんは旧姓高橋品子さんと知る。  ネットで調べると、中野氏の戦友増沢康正氏の「中野一郎戦友のレクイエム」に、感動的な話が書かれていた。高橋品子さんは、戦後ジャズピアニストとして活躍、二人に間に生まれた子供は、現在ジャズシンガーの山崎瑞江さん。2003年夫の山崎比呂志と共演のCD「How deep is the Ocean 父に捧げるレクイエム」を発売。数年前、中野一郎の亡くなったフィリピンセブ島リロアンの教会脇祭壇で、この歌を捧げたとのこと。  「中野一郎戦友のレクイエム」と山崎瑞江さんの紹介を記す。 中野一郎戦友のレクイエム   増沢康正 昭和19年12月5日深更、第5中隊の中野一郎は、第八次多号作戦に参戦するため、細川艇隊の指揮艇のクルーとして、リロアン砂浜達着場から、オルモックに向い出撃した。その時の隊員約七十人のうち四十九人は、「12月9日オルモックにて戦死」の旨、戦友会名簿に書かれている。その中には、細川隊長の名も同期の松山寛の名もあるのに、中野一郎の名前がない。細川隊長と運命を共にしたと思われるのに、なぜ名がないのだろう・・・思えば六十年の余、その疑問に答えられなかった。ところが、今年のセブ島慰霊のツアーに際し、事情はようやく明らかになり、改めて愴々たるレクイエムを奏でることになろうとしている。 中野一郎と言えば、リロアンの教会前の広場にて、「オー・ソレ・ミオ」、「帰れ!ソレントへ」、「サンタルチア」等のイタリア民謡を素晴らしいテノールで朗々と歌い、部隊一同を大いに沸かせた大歌手であった。先日、東京駅八重洲口にて、事務局は中野の遺族二人と会見することになった。そこでの話を要約する。中野は、昭和17年音楽学校在学中に結婚し、翌年瑞江さんが誕生した。その4ヶ月後、18年12月、中野は学徒出陣する。夫人の品子さんは、乳飲み子を抱えて御両親のおられた大連に渡る。戦後は、東京にてジャズ・ピアニストとして活躍される。あるとき、小石が入っただけの遺骨箱が来て、「戦死地は、ガンギボット」だという公報が来た。「ガンギボット」などという地名が品子さんの口からすらすら出たのに驚く。しかしお二人の姓が中野でなく津田と 山崎であるので、思い切って伺ってみると、お二人とも。旧姓は「高橋」だといわれた。私は、あっと驚いた。「高橋一郎(愛知県)」なら前述の戦死者名簿にあったのだ。5中隊の同期は殆ど長野、山梨、神奈川出身だったので、愛知県籍なら古兵殿だとの思いこみで、中野の探査に繋がらなかったのであった。中野は、音楽学校の愛しい後輩である高橋品子さんと結婚して、高橋家の養子となったが、音楽公演ではすでに全国を風靡したテノールの中野一郎で歌っていたのである。それから50何年か経った平成14年、瑞江さんは、自分のジャズナンバーのCDを、初めてリリースした。How deep is the OceanのタイトルにDedicated to My Fatherと添えた。戦場の海に消えた父に捧げるレクイエムである。山崎比呂志さんのドラムを始めメリハリの利いたピアノやコントラバスが軽快に演奏され、その中で纏綿たる瑞江さんの美声が大きな感動をもたらして来る。このCDを墓前に供えるべく長野県波多町の中野の実家を何十年ぶりかで訪ねた時、中野の弟さん(瑞江さんの叔父さん)が土蔵にあったという一枚のレコードを差し出した。これこそ、品子さんが長年探し続けていた幻のレコードであった。昭和17年の暮れ、品子さんの伴奏で中野が「オー・ソレ・ミオ」と「かやの木山」の2曲を吹き込んだ貴重な一品である。かけてみると、ノイズ混じりながら、品子さんにとって昔の彼の懐かしい歌声が流れた。瑞江さんにとっては、初めて聞く父の声である。二人とも胸の内に熱いものがこみ上げて来たことは、想像に難くない。 レコードをダビングしてCDを作った。これを持ってリロアンへ行く。そして、教会脇グロットのマリアの祭壇で奏でる、という。中野の霊よ、愛娘が、こんなに成人して、君の歌を六十有余年隔てて君に捧げる。君の肉親が、はるばるとここにやって来ている。非情な運命による儚かった縁を慰めつつも、君との出会いを感謝し、心から君の冥福を祈っている。どうか見そなはして欲しい。(五中隊増沢)  [リロアン会会報より抜粋] ジャズシンガー 山崎瑞江 MIZUE YAMAZAKI 声楽家の父とピアニストの母を持ち、幼少のころより音楽に接して育つ。松谷譲氏に師事しジャズボーカリストとしての基礎を学ぶ。吉本栄(sax)とバートランドファイブの専属シンガーとなる。その後、本格的にギターの中牟礼貞則トリオ(稲葉国光(b)、山崎弘(ds))のボーカリストとしてプロデビューする。以降、ヒルトンホテル、ホテルオークラ、東京プリンスホテル、赤坂プリンスホテルなど都内の一流ホテルの専属ボーカリストとして八城一夫(p)トリオ、猪俣猛とウエストライナーズ、鈴木康充(g)トリオなどと共演、数多くのステージに立つ。宮沢昭(ts)等の2枚のボサノバアルバムにも客演。レナウンやエッソのコマーシャルソングなども歌う。最近では、夫である山崎比呂志(ds)トリオと共に。ライブハウスやコンサート活動をしている。リズム感の良さと、繊細で個性豊かな表現力には定評があり、自己のスタイルを持っている数少ないボーカリストである。2003年3月には、夫の山崎比呂志プロデュースによる念願の夫婦共演CD”How Deep Is The Ocean「父に捧げるレクイエム」”を発売。 2010/08/15 21:37:29

2010/08/21

JFMA資格制度委員会 id=15 8月20日(金)15時から、日本ファシリティマネジメント推進協会(JFMA)で開催の資格制度委員会に委員長として出席。今年度のファシリティマネジャー資格試験合格者について討議、試験委員会提案の通り承認。 2010/08/21 11:23:36

宇宙船ゼミで内田祥哉氏のサステナブル建築 id=16 8月20日(金)18時半から京橋のINAX 8階セミナールームで開催の、宇宙船ゼミに出席。講演は、内田祥哉氏の「サステナブル建築と寿命」。  終了後20時半から、近くのカフェ「ラ・ポエム」で懇親会。22時少し前まで。 2010/08/21 11:25:35

2010/08/24

南の島で戦死したテナー歌手中野一郎に纏わる話の年譜 id=19 南の島で戦死したテナー歌手中野一郎に纏わる話を、8月15日終戦記念日の私の日記に2つ書きました。この話の年譜は次の通りです。 ・1942年(昭和17年) テナー歌手中野一郎、東京音楽学校後輩高橋品子と結婚 ・1942年12月28日 独唱中野一郎、ピアノ伴奏高橋品子、銀座で「O Sole mio」「かやの木山」を気まぐれにレコード録音 ・1943年8月 中野一郎日本音楽コンクールで3位入賞(1位なし)。瑞江誕生 ・1943年12月 中野一郎学徒出陣。中野一郎は高橋家の養子となり高橋一郎に改名 ・1944年12月5日 フィリピンセブ島リロアンから出撃。 同年12月9日 オルモックにて戦死 ・194?年 小石が入った遺骨箱が品子に。戦死地ガンギボット ・戦後、高橋品子はジャズピアニストとして活躍。再婚し津田姓に ・2003年3月 娘瑞江は夫の山崎比呂志とHow Deep Is The Ocean(父に捧げるレクイエム)のCD発売 ・2003年6月 瑞江がこのCDを父の墓前に捧げるため、父の実家長野県波多町を訪ね、1942年に両親が録音したレコードを発見、CDに ・2006年頃 一郎の戦友で生き残った人たちが、高橋品子を探し出し会う。生き残った戦友たちは、戦後遺族の方々と墓参に南の島へ行っていたが、皆が中野と呼んでいた一郎の戸籍名が高橋に変わっていたこと、品子が再婚し津田姓になっていたことから、一郎の遺族を探し出したのは60年後。 増沢康正氏、リロアン会会報に「中野一郎戦友のレクイエム」を書く ・2006年頃 一郎の戦友たちと80才を超した品子と瑞江、フィリピンセブ島リロアン訪問。教会脇の祭壇に1942年の一郎の歌と山崎瑞江夫妻のCDを捧げる。そこで、セブ島の老人が「歌の上手な兵隊さん皆と一緒に歌ってくれた」と、「かやの木山」などを日本語で歌う  なお、高橋品子さんは今年7月に88才で死去された由。生き残った戦友増沢康正氏は健在で、8月22日沖塩は電話で話をしました。 2010/08/24 23:29:28

2010/08/25

赤坂の芸者さん出演の国立劇場での日本舞踊の会 id=22

仙台ロイヤルパークホテル源氏香のウェイトレスから赤坂の芸者になった、佐藤麻希子(赤坂真希)さんと佐藤真紀(赤坂真由)さんが出演する藤間流日本舞踊の会「藤葉会」を観るため、国立大劇場に8月25日(水)11時過ぎ着く。  最初は、会主藤間秀嘉の「廓八景」。3番目が真紀さんの「四君子」、2年前より大分腕を上げている。昼食後、14時10分頃から真希さんの「傾城」。昔の傾城とはこのようなものだったのか、を感じさせる衣装と踊り。  楽屋で写真を撮った後、既に始まっていた三紀子さんの「夕立」を観て帰る。見事な踊り。 2010/08/25 23:38: 10

2010/08/26

和田幸子さんからネクタリン贈られる id=24 地元長野で活躍している理科大卒業生の和田幸子さん設計の、果樹園を持つ年配のご夫婦の家が2008年末長野市郊外に完成。  そのご夫婦からのご挨拶状と収穫物のネクタリン、その住宅が4頁にわたって紹介されている信州の情報誌「KURA」2010年7月号が、8月24日(火)和田さんから送られてきた。  「幸子さんには、我が家の設計をお願いし、現在快適に過ごさせて頂いております。隣に息子一家が建てる家の設計もお願いしました。沖塩先生には、感謝の念で一杯でございます」と建主の挨拶状にあり、驚く。建主に信頼されている卒業生の活動の話は、聞いて本当に嬉しい。 2010/08/26 01:35:52

2010/08/28

日経ニューオフィス賞懇親パーティ id=27 8月27日18時から日本経済新聞社東京本社6階カンファレンスルームで開催の、第23回日経ニューオフィス賞表彰式後の懇親パーティに出席。  会場では先ず、「環境賞」受賞の「グリーンワイズ」田丸雄一社長からご挨拶を受ける。岡村製作所中村喜久男会長、木川田一栄大阪大学教授、平手小太郎東京大学教授、三栖邦博NOPA会長、経済産業省高辻郁史日用品室長、竹中工務店服部紀和顧問、大川徹、岡晴信の諸氏、清和ビジネス和泉龍吾社長、日刊建設通信新聞社大澤社長、NTTファシリティーズ塚田敏彦担当部長、イトーキ山田匡道会長、川島謙治社長室長、内田洋行向井真一社長、日本インテリアデザイナー協会川上玲子理事、JFMA坂本春生会長、池田芳樹事務局長、中津元次、松成和夫、成田一郎の諸氏ら40名位の方々と懇談できた。  菊竹清訓審査委員長との話の中で、この日記に書いた「南の島で戦死したテナー歌手」のことを話す。島の老人が「歌の上手な兵隊さんに教えて貰った」と「かやの木山」を歌ったことを言うと、大変感動されるとともに、「その人は海軍だったろう、当時の日本海軍で南方に駐留した兵隊たちにはレベルの高い人たちがいた」と言われた。  審査委員の仲隆介氏は、懇親会には現われず。 2010/08/28 13:55:08

2010/08/29

公立昭和病院増改築落成式 id=29

8月29日(日)14時より小平の公立昭和病院で開催の、増改築落成式に参列。本病院増改築工事の施工者選定に技術提案型総合評価入札方式を採用することになり、2006年その総合評価審査委員会委員長を務めた関係でのご招待。  設計は、プロポーザルで久米設計。限られた敷地で診療機能を止めずに行なう3期7段階の4年を超える複雑玉突き増改築だったが、落札者戸田建設は無事故で完成、良かった。  15時頃から施設見学、16時頃から落成パーティ。 2010/08/29 21:40:08